西山西山麓の600x400mの区域と金毘羅山の西側から山頂部にかけての800x300mの区域にそれぞれ30箇所以上火口が形成された.両区域の間には500mの隔たりがある.火口の配列には特に規則性はない(図3).西山火口群の周りには正断層が発達している(写真6).一方金比羅山火口の周りには殆ど断層が出来なかった.現在西山火口群の西北部を中心に高さが60m程度,直径700m程度の潜在溶岩ドームが成長し,地表は地熱地帯となっている.この溶岩ドームの大きさは従来の溶岩ドームの大部分よりも小さい.
図3 5月18日に自衛隊が撮影した航空写真から求めた火口と断層の分布.北海道室蘭土木現業所による. |
写真6 国道230号を寸断した断層群.西山火口群の南端付近.7月10日自衛隊ヘリより撮影. |
火山灰は風向の変化に対応して日毎に別の方角に降った.降灰量は噴火開始後1週間で急速に低下した. マグマ物質は3月31日と4月1日に降った火山灰の一部と軽石から見つかった.今回噴出したマグマの化学組成は1944年噴火や1977年の噴火のものと僅かながら違いがある.つまり,今回の噴火は深部から新しいマグマが上昇してきたものである. 西山火口群北方の一部の家では,壁や樹木の南側に火砕サージ物質がへばりついている.この火砕サージは堆積物の中に気泡があることと付着した相手方に熱の影響が認められないことから低温で湿っていたと判断できる.火砕サージは堆積状況から見て4月7日明け方に避難道路に沿ったアパートの直下に火口が形成された時発生したのではないかと推定される. 金比羅山火口群では火口から温泉水が自噴して噴出物を取り込み,西山川を洞爺湖温泉に向かって泥流として流下する現象が見られた.泥流によって河床が次第に埋められ,4月9日には泥流の流量がピークに達して,国道の橋とその下流の町道の橋が流された(写真7).町道の橋が更に下流の橋につかえて流れをさえぎったため,泥流は市街地に溢れ出した.町営浴場と町立図書館は泥流により半ば埋まってしまい,町営住宅や民家も被害を受けた.
写真7 洞爺湖温泉地区南西部で4月9日に西山川(画面左手)から泥流は溢れ出し,国道230号の木の実橋は画面左上から中央下部まで150m流された.5月31日自衛隊ヘリより撮影. |
西山火口群周辺では地殻変動により家屋が傾いたり変形したりする被害を受けた(写真8).道のアスファルトにも地殻変動によるめくれあがりが認められる.洞爺湖温泉町で噴石の被害を受けた家屋は火口から600m程度であった(写真9).
写真8 傾動した家屋.泉地区で5月29日撮影. |
写真9 多数の噴石により破壊された家屋.洞爺湖温泉地区で5月29日撮影. |
6.火山災害予測図と避難指示区域の設定
日本で火山災害予測図が作成され住民に配布されるようになったのは先進地の北海道駒ケ岳や十勝岳を除くと1990年代に入ってからである.有珠山2000年噴火は火山災害予測図が配布されている火山の中では最初の本格的な噴火であった.1995年に配布された火山災害予測図(図4)は,山頂噴火の際の火砕流や泥流そして噴石の到達範囲と降灰の堆積区域を示していた.しかし,山麓噴火については火口となりうる区域と噴石の到達範囲が示されていたに過ぎなかった.地元自治体は噴火の開始前の避難指示区域の設定に際して,この図に示された範囲を火山専門家が若干修正したものを参考にした.具体的な避難指示区域の線引きは,火山専門家の指摘した範囲の外側の道路や川を境界とした.
図4 1995年に配布された火山災害予測図. |
4月中旬から6月にかけての避難指示区域の縮小に際しては,火口の位置や災害要因が特定できているので,火砕流の流動特性を配慮したモデル計算が行われ,避難区域の線引きの判断材料とした.また,危険度の大小により3通りの線を引き,日中のみ立ち入り可とする領域,火口監視体制を敷いた上での短時間立ち入りを認める領域と立ち入り禁止区域を設定するというカテゴリー区分の発想がとられた.これは長期にわたる避難による二次的な損害を減らすための工夫であった.7月に入って噴石の危険性のみが残った時点では,噴石の飛来実績を調査した上で火口からの距離を指定して避難区域を設定した.このように長期化する噴火では,あらかじめ作られた火山災害予測図のみでは実用に耐えず,状況に応じた修正が必要である.
1995年に出版した火山災害予測図の記述は実際に噴火してみると不十分な点があった.第一には6kmx3kmの山麓噴火の想定火口位置よりも300m外側まで火口の形成が及んだこと,火山災害予測図には山麓噴火の災害予想区域が示されていなかったこと,そして地殻変動の被害範囲について明示されていなかったことである.次の噴火に向けて火山災害予測図をどう改善すべきか検討が必要であろう. 1995年に火山災害予測図を配布した後,壮瞥町はその後も火山災害予測図を含んだ防災資料の配布や防災普及講演会を繰り返しており,これが実際に噴火が始まろうとしたときの避難行動に役立ったようである.
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