吾妻,安達太良,磐梯火山の活動史と火山防災マップ

宇都宮大学・教育学部・教授  中村 洋一


1.はじめに

 東北日本には活火山が数多く分布する南北方向の火山列がみられ,火山フロントと呼ばれています。この火山フロント上の活火山として,福島県には吾妻山と安達太良山,その少し西に磐梯山が分布しています(表紙写真)。本文では,吾妻山,安達太良山,磐梯山の火山活動史と火山活動の特徴を紹介し,最近公表されたこれら3活火山の火山防災マップ(ハザードマップ)とそれを活用した火山防災について概略します。

2.吾妻山の火山活動史

 2-1.吾妻火山

 福島市の西方約20kmの山形県との県境付近に位置している吾妻山は活火山で,東西25km,南北17kmと比較的に広い噴出物の分布範囲をもつ大型の山体からなります。最高峰は西吾妻山(2024m)ですが,全体として1800mから2000mの標高をもつ山頂が数多く連なります。数多くの活動の中心をもつため吾妻火山群と総称されることもあります。

 2-1.火山形成史

 吾妻火山の活動の中心はおよそ西北西−東南東の方向性をもつ南北2つの配列をもちます。南列を構成するのは西大巓,西吾妻山,中吾妻山,東吾妻山,高山で,北列は藤十郎,東大巓,昭元山,一切経山です。吾妻火山は比較的に長い活動史をもち,その活動史は最近になって整理されました(鴨志田,1991;野口,1995;齋藤・藤縄,2001など)。活動史から,東吾妻火山(古一切経山,東吾妻山,高山,一切経山),中吾妻火山(中吾妻,継森,東大巓,箕輪) ,西吾妻火山(西大巓,西吾妻山,中大巓,藤十郎)と3つに大別されます(表1)。

 約150万年前頃から活動が開始され,東吾妻山の東部に古一切経火山が形成されました。次いで60-40万年前頃に,中吾妻,西吾妻,東吾妻火山が形成されました。一切経山は30万年前頃に形成され,この後に浄土平で大規模な山体崩壊があり,岩屑なだれが東麓に下り,東に開いた浄土平爆裂カルデラが形成されました。その後,浄土平周辺を火口とした活動があり,約5千年前に吾妻小富士や桶沼などの火砕丘が形成されました。

 吾妻火山噴出物の岩質はおもに,斜長石,紫蘇輝石,普通輝石,磁鉄鉱のほか,カンラン石や石英を斑晶鉱物として含む玄武岩質安山岩ないし安山岩で,そのシリカ(SiO2)含量は52-65%となっています。

 2-3.有史時代の活動

 有史時代での活動は,一切経山での活動が中心です。1331年から1334年までやや活発な水蒸気爆発型の活動がみられ,その後は1771年,1810年,1850年などにもやや活発化しました。

 1893年噴火: 噴気活動が1893年(明治26年)5月19日から活発になって,燕沢で水蒸気爆発し,噴石と火山灰を噴出させました(表2)。6月4日−8日には水蒸気爆発が強くなって,7日には調査中の技師ら2名が噴石に当たって死亡しています。11月9日−10日に小規模水蒸気爆発し,翌年には一連の活動が終息しました。

 この後も一切経山付近で活動を繰り返し,1895年,1896年1914年,1932年,1937年に噴気活動の活発化,1950年,1952年に小規模水蒸気爆発,1966年,1977−78年に噴煙活発化後,小規模な水蒸気爆発が発生しています。

3.安達太良山の火山活動史

 3-1.安達太良火山

 安達太良山は,二本松市の西方にある活火山で,その山体は東西約12km,南北約15kmです。山頂部を構成するのは北から鬼面山,箕輪山,鉄山(1709m),安達太良山(1700m),和尚山と,ほぼ南北に配列しています。安達太良山の山頂部には沼ノ平爆裂火口があり,西に開いています。

 3-2.火山形成史

 約55万年から45万年前に,北部の鬼面山などからの先駆的な小規模なマグマ活動で始まりました(表1,藤縄ほか,2001) 。次いで,35万年前頃から溶岩流の流出を中心とする最初の本格的なマグマ活動がありました。約20万年前になって,安達太良火山の山体中央部を形成する大規模なマグマ活動が再びあって,現在の安達太良山などが形成されました。12万年頃から2400年前頃には,山頂部でのより爆発的な活動となり,山頂部の小丘が形成されました。またこの活動で東麓に降下火山灰をかなり堆積させました(山元・阪口,2000)。約3万年以降では,すべて沼ノ平火口からの水蒸気爆発型活動となっています。

 安達太良火山噴出物の岩質はおもに,斜長石,紫蘇輝石,普通輝石,磁鉄鉱のほか,カンラン石や石英を斑晶鉱物として含む輝石安山岩で,そのシリカ(SiO2)含量は54-64%となっています。

 3-3.有史時代の活動

 有史時代の活動はすべて沼ノ平火口からでした。最古の記録は807年で土砂流出があったようです。この後,1530年,1623年,1658年,1813年にも,沼ノ平付近で噴気の活発化や小規模な水蒸気爆発が繰り返されました。

 1889年−1900年噴火: 1899(明治32)年から翌年にかけては,沼ノ平での活動がとくに活発化しました(表3)。1899年当初には噴気が活発化していて,8月24日になって沼ノ平から大音響とともに噴出し,25日に硫黄泥を流出しました。11月にも水蒸気爆発がありました。翌年7月17日の午後6時頃,規模の大きな爆発が3回ありました。火口内に当時あった硫黄精錬所が全壊し,86名中で死者72名,負傷者10名の被害を出しました。この噴火は水蒸気爆発かマグマ水蒸気爆発型の活動で,ベースサージ(火砕物を希薄に含んだ水蒸気の高速の横なぐり噴煙の流れ)が発生したことが,被害を大きくしました。

 この後も,1950年,1985年,1987年に噴気活動が活発化し,1995年10月27日,微動が観測されました。1997年9月16日には,沼ノ平火口南西部で,登山客4人が火山ガスで死亡しています。現在,沼ノ平火口内は立ち入り禁止となっています。


4.磐梯山の火山活動史

 4-1.磐梯火山

 磐梯山は会津盆地東部の猪苗代湖の北約5kmにある活火山です。山頂部は沼ノ平火口を囲んで,大磐梯山(1819m),櫛ヶ峰,赤埴山からなります。南側の猪苗代湖からは裾野の引く優美な成層火山の山容がみられます。北側の山体は,1888年噴火活動で小磐梯が崩壊して形成された馬蹄型カルデラ(爆裂カルデラ)が北に開いた凹地形となっていて,裏磐梯高原につづいています。

 4-2.火山形成史

 磐梯火山の活動は,先磐梯,古磐梯,新磐梯の活動期に大別されています(表1,三村・中村,1995)。約90万年前から開始された先磐梯活動期の噴出物は火口壁などで確認されるだけです。約50万年前以降の古磐梯活動期では,南側の表磐梯山麓地域が形成されました。約8万年以降からが新磐梯活動期で,山体崩壊に続く岩屑なだれが何回か発生しています。このうちで最も規模が大きかったのは翁島岩屑なだれで,南に大きく山体は崩壊し,岩屑なだれ堆積物は猪苗代湖の北西岸に達しています。また,この直後の活動による軽石流や降下軽石堆積物が南東面山麓に分布しています(千葉・木村,2001)。約6000年前以降では,1100-1500年位の間隔で水蒸気爆発が5回程度発生したと推定されます。

 磐梯火山噴出物の岩質はおもに,斜長石,紫蘇輝石,普通輝石,磁鉄鉱のほか,カンラン石や石英を斑晶鉱物として含む輝石安山岩で,そのシリカ(SiO2)含量は56-65%となっています。

 4-3.有史時代の活動

 有史時代の最古の活動記録は806年で,水蒸気爆発型活動と推定されます。その後の1643年,1655年,1719年,1787年などの記録はいずれも噴気活動の活発化,あるいは小規模な水蒸気爆発と推定されます。 1888年噴火: 1888年(明治21年)7月15日の噴火では,大磐梯山とほぼ同様の高さの小磐梯の山体が崩壊し,岩屑なだれとなって,北麓を流れ下りました(表4)。このため,北麓の5村11集落が完全に埋没して,死者461人(最近の調査では477人とも)を含む大災害となりました。このため,明治政府は本格的な学術調査を命じて,詳細な報告書が出されました。これは日本の活火山噴火調査の先駆けでした。

 磐梯火山の1888年噴火活動は,不安定になっていた成層火山の山体が地震活動(M5程度)を引きがねに,大規模な山体崩壊をし,岩屑なだれを発生させました。爆風(ブラスト,あるいはサージ)も発生しています。この噴火活動のように,爆発性の強い水蒸気爆発,山体崩壊,岩屑なだれ,で特徴づけられる様式は磐梯型噴火と名称されています。この噴火活動の様式は,米国セントヘレンズ火山の1980年の噴火活動との類似性からよく比較されます。噴火後地形が一変した裏磐梯地域には,数年に渡って土石流が数多く発生し,住民が苦しめられました。

 この後の1938年や1954年の春先に,火口壁の崩壊が繰り返されています。2000年には火山性微動の増加が認められました。


5.吾妻・安達太良・磐梯山の火山防災マップ

 5-1.噴火活動と火山防災マップ

 世界で記録された噴火災害を死者数の割合でみると(シムキン他,1994),火砕流によるものが約26%と最も高く,土石流・泥流が12%で,この両者の被害が際立っています。次いで,噴石・降下火砕物と岩屑なだれがそれぞれともに1.7%となっています。溶岩流は0.1%と意外に低くなっています。噴火後に二次的に付随して発生する飢餓・疫病や津波なども深刻で,それぞれ32%,19%となっています。わが国に限った結果でもほぼ同様の傾向が認められています(荒牧,1996)。また,最近のわが国での噴火による損害額をみると,有珠山1977年噴火が約200億円,三宅島1983年噴火が約190億円,伊豆大島1986年噴火が約125億円,雲仙普賢岳1991年噴火が1000億円以上と見積もられています(荒牧,1996)。

 こうした噴火の被災状況を教訓に,国は活火山地域での観測システムや防災計画の整備をすすめています(火山噴火予知計画,活動火山対策特別措置法など)。また活火山周辺の自治体によってハザードマップ(火山防災マップ)の作成がすすめられ,北海道駒ヶ岳で1983年にわが国で最初の住民向けの火山ハザードマップとハンドブックが発表され,次いで十勝岳でも1986年に作成されました(表5)。

 雲仙普賢岳の1991年噴火を契機に,火山噴火災害危険区域予測図作成指針が1992年に国土庁で策定され,これと相伴って国の支援事業としての火山噴火警戒避難対策事業などで,活火山周辺地域での火山基礎調査が各県土木部砂防課と砂防・地すべり技術センターなどによって積極的にすすめられました。それらの成果から火山ハザードマップ(火山災害予測図,火山防災マップなど)や解説資料(火山防災ハンドブックなど)が多くの自治体から住民向けに発行されました。その後,有珠山や三宅島の2000年噴火活動で火山防災への関心が高まり,現在ハザードマップは気象庁常時観測20活火山の18火山で整備され,他の活火山もあわせ27活火山が公表済みとなっています(2002年6月現在)。公表されたマップを活用した火山防災訓練の実施,更新版の発行,防災計画の取り組みもすすめられつつあります。

 5-2.福島県の活火山と火山防災マップ

 福島県内の活火山では,吾妻山,安達太良山,磐梯山が常時普通観測火山に指定されています(栃木県との県境に位置する那須岳も常時普通観測火山ですが,本文では詳述は略します)。最近,火山噴火予知連絡会より活火山の定義を過去2千年以内から1万年以内に噴火した火山と再定義し,86活火山を108活火山とする案が提案されていますが,福島県では約5000年前に降下軽石噴出の記録がある沼沢火山がこれに該当します。

 吾妻,安達太良,磐梯火山は1987年頃から福島県などによって基礎調査が開始され,1997年から県市町村連絡会が専門家と共に住民向けの公表図の準備をすすめました。これら3活火山の火山防災マップ作成の前提条件としては規模の大きかった直近の噴火活動(磐梯山は1888年噴火,吾妻山は1893年噴火,安達太良山は1900年噴火)を想定し,それに付随する火山現象の被災状況が検討されました。2000年夏の磐梯山の火山性微動の増加を契機に,先ず磐梯山,次いで吾妻山,安達太良山の火山防災マップと解説用資料が順に公表されました。

 福島県の活火山地域周辺は優美な自然景観をもち,多数の人々が集まる観光地であるため,いったん噴火活動をすると甚大な火山災害が想定されます。噴火活動の間隔は数十年とか数百年とかのことが多くあるため,家族や地域での防災上の教訓はあまり継承されません。個々の活火山はそれぞれ噴火活動に特有の傾向があるため,形成史や災害実績などの詳細が明らかにされることで,質の高い火山防災マップの作成が可能となります。よく検討された火山防災マップや防災計画をもとに,地域住民,行政,研究者,さらにマスメディアに係わる人々が互いに役割分担を有効に担って対応することで,火山災害を最小限とすることができます。一方,確度の高い噴火予知には個々の活火山でのよく整備された観測体制も必須となります。

6.おわりに

 火山活動は地球深部で発生したマグマが地表に噴出する際の様々な自然現象で,少なくとも人類が生き続けるくらいの将来も絶えることなく発生すると考えられています。マグマ活動は温泉や地熱活動など直接的な起源のほか,鉱産資源あるいは大陸の形成や成長など地球規模の現象とも関連し,人類に様々な恵みを与えてきています。火山とうまく付き合うのは地球に住む人類の宿命といってよいでしょう。火山国に住む日本人としては,火山や火山現象について日頃からよく理解しておくことが,火山災害を軽減するうえでの第一歩といえるでしょう。


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2002年11月,日本火山学会,2017年9月:一部修正