浅間山の観測と噴火予知

東京大学地震研究所 鍵山恒臣

 


 

  1.浅間山は活発になった?

 みなさんは,最近,浅間山が活発になったという話をしばしば耳にされているであろう.その話は,本当なのだろうか?活発になったという割には,たいして噴火もしないし,昔の浅間山の方がずっと活発だったと思う方も多いであろう.しかし,テレビや新聞では浅間山のことがしばしば話題になっている.そもそも浅間山が活発になったという話は,何を根拠にしているのだろうか?きょうは,浅間山の活動について,観測からどのようなことが読み取れるかをお話しするが,まず,このあたりから話を進めていこう.

  2.2002年以降の火山活動

 浅間山はここ数年,地震の発生数も少なく比較的静穏な状態が続いていた.気象庁の軽井沢測候所が毎月発表する定期火山情報を新聞やテレビでご覧になった方も多いであろう.浅間山に限らず,多くの火山では,火口の近くで体には感じない小さな地震が発生しており,火山活動が活発になってくると地震の発生数が増えてくる.したがって,浅間山は比較的静かな状態と考えられた訳である.ちなみに,「定期火山情報」は,2002年4月以降「火山活動解説資料」と名前が変わったが,名前以上に内容が豊富になり,グラフなども多くなっている.また,以前は地元のテレビや新聞で取り上げられるだけだったため,何日かたつとどんな情報だったか忘れてしまうし,地元以外の,たとえば観光客などは,情報を知ることなど不可能だったが,現在は,気象庁のホームページに掲載されているので,いつでも,地元以外の人でも情報を見ることが可能になっている.アドレスは,文末にまとめてあるので,ぜひ見ていただきたい.さて,話を元にもどそう.ところが,2002年に入り地震の数がわずかに増加し,5月ころから麓の軽井沢町などでしばしば火山ガスの臭いがきつくなるようになった.図1は,2002年以降の1日あたりの地震発生数を示しているが,時々地震の数が増えている様子がわかる.図2は,2002年8月に撮影した浅間山の噴気の様子である.この噴気は,大部分は水蒸気であるが,二酸化硫黄などの成分も含まれているため,臭いがしたり,麓で草木が枯れたりする.二酸化硫黄がどれくらい浅間山の火口から放出されているかを測定すると,浅間山が静かであると言われていた時期に,1日に100t程度であったのが,1日に1000t程度にまで増加していることがわかった.こうした現象は,地下のマグマの活動が活発になった時に起きることが多い.気象庁が,臨時火山情報やそれに続く観測情報を出しているのは,こうした状況を考慮したものである.2003年に入り,火山灰をわずかに噴出する小さい噴火が4月までに4回起きている.このことは,もっと大きな噴火の前兆であろうか?そのことを考える前に,浅間山などの火山でどのような観測が行われ,どのようなことがわかっているかを示すことにしよう.

 
図1 2002年以降の浅間山の1日あたりの地震発生数

 

 
図2 浅間山の異常な噴気(2002年8月)

 

  3.浅間山が切り開いてきた日本の火山噴火予知

 20世紀の初頭,浅間山は噴火を繰り返していた.当時気鋭の地震・火山の研究者であった大森房吉博士は,浅間山で地震の観測を始めた.観測は湯の平で行われたが,大変厳しく,その後追分に移された.昭和に入り,相次ぐ噴火のため,地元の有力者の間で火山活動を科学的に調査すべしとの機運が高まり,東京帝国大学地震研究所の付属施設として,峰の茶屋に浅間火山観測所が設けられた.寄贈された建物は現在も旧館として使用されている.この観測所を拠点として,火山学上重要な研究が数多く行われた.たとえば,火山の近くで地震を観測していると小さい地震が数多く発生しており,噴火の前にその数が増えることが明らかにされた.そのことを利用して世界でも初めて火山噴火予知が試行された.火山のやや深いところで発生している地震をA型地震,火口のごく近くで発生している地震をB型地震とする呼び方は,世界の多くの火山観測所で使用されている.当時の噴火は大変激しいもので,たとえば1950年9月の噴火では,火口の底から巨大な噴石が飛び出してきた.図3は,その時の写真で,人の数倍もある大きさである.この岩は,鬼押し出しの方から浅間山の山頂に見ることができ,通称千トン岩と呼ばれている.この時の激しい爆発では,強い空気振動が発生し,麓の民家やホテルのガラスの大部分が割れてしまい,ガラス屋の在庫が切れてしまったと言われている.1973年の噴火では,図4に示すように,地震の発生数が1971年11月頃からそれまで1日に10個程度であったのが30個程度に増加し,1972年12月から急増した. 1973年2月1日には1回目の噴火が発生し,4月まで噴火は断続的に継続した.この一連の噴火の前には,観測所と気象庁が緊密に連絡し,臨時火山情報が出された.地震活動の観測によって火山噴火を予測することは,浅間山において,ほぼ完成した姿になったのである.

 
図3 1950年9月の噴火で噴出した巨大な火山弾.
千トン岩と呼ばれるが,高さ5m以上で3000t程度の重量である.

 

 
図4 1973年の噴火前後の1日あたりの地震発生数.
1971年11月頃から地震の数が増加し,1972年12月から急増した.1973年2月1日に1回目の噴火,4月まで噴火は断続的に継続した.

 

  4.1982年噴火のふしぎ−浅間山が新たに直面した課題−

 その後,火山噴火予知計画が開始され,観測も整備された.これまでの煤書き記録から,時間分解能をあげた観測が可能になり,噴火予知はもっと容易になると期待された.しかし,1982年4月26日の噴火は,そのような期待を全く裏切る噴火となった.図5は,噴火前後の地震の発生数を示す.数ヶ月おきに一時的に地震が増えているが,1973年までの噴火前と違い,地震の数が明瞭に増加していない.4月26日の噴火当日に地震の数が増えているが,すべて噴火後に起きた地震である.前日までの地震の発生数を見て,明日噴火があるとは到底予想できない.これは,まさにこれまでの浅間火山観測所の歴史を否定するような衝撃的な噴火であった.

 
図5 1982年−83年噴火前後の地震発生数.
1日に20個程度の地震が日頃発生している中に,時々1日程度地震が多発していたが,1982年4月26日の噴火前1週間を見ても地震はまったく増えていない.

 

 この噴火をよく考えてみよう.これまでの噴火との大きな違いは,噴火の直前に地震が増えないということであった.しかし,それ以外に,もっと重要な違いは,火口から噴出した火山灰や火山弾を調べると,新鮮なマグマが噴火したのではなく,火口の底や中にたまっていた古い岩石や火山灰が飛び出してきたことがわかった.一般に,こうした噴火を「水蒸気爆発」と呼ぶが,決して100℃程度の低い温度の噴火ではない.この時の噴火では,500〜600℃の赤熱した物質が噴出して,小さな火砕流となり,融雪で泥流も引き起こしている.その他にも,噴火の規模が小さい,噴火は単発で,以前のように何日も噴火が継続しないという違いがあった.噴火の規模が小さいから前兆が出ないという気もするが,もっと小さな噴火をする火山でも,噴火前に地震が増える例はたくさんあり,疑問は尽きないのである.

  5.火口の写真が明かした浅間山の活動のひみつ

 こうした疑問は,噴火後の火口の様子を観察して一気に解決した.図6の火口の写真を見てみよう.1973年の噴火後に撮影された写真には,火口の中央に黒く丸いおまんじゅうのようなものが見られる.これは,1973年の一連の噴火の後,火口の底にせりあがってきた溶岩が,噴火できずにそのまま冷えて固まったもので,lava cakeと呼ばれる.通常,次の噴火活動期には,前の活動期が残したおまんじゅうを吹き飛ばして一連の噴火が始まるのである.1982年4月の噴火後に火口を観察すると,古いlava cakeを吹き飛ばしてできた穴があいているだけで,新しいlava cakeは見られなかった.開いた穴の壁は,ところどころ赤熱していた.1983年4月の噴火では,さらに周辺の壁を壊して火口底はさらに深くなった.このことは,1982年−83年の噴火ではマグマが火口底の深さまでせり上がってこなかったことを意味する.さらに1915年の火口の写真を見てみよう.火口底の深さが1973年に比べると異様に浅いことがわかる.これは,たまたま,この時そうだったというのではない.図7の火口底の深さの変化を見ると,19世紀末には,火口底の深さは現在と同じくらい深かったが,20世紀初頭に急激に浅くなり,1910年には火口の縁より高く盛り上がった状態であった.火口底は,その後徐々に深くなっていったことがわかる.実は,浅間山の噴火の規模もこれと同じような変化をしているのである.浅間山は,最近,10年程度の間隔で噴火をしているが,1960年代の活動より1973年の活動の規模が小さく,1982年−83年の活動はさらに小さく,新鮮なマグマも出なくなった.1990年の噴火は,鬼押し出しの駐車場で,車のボンネットにわずかに火山灰が確認できる程度,そして2003年の4回の噴火は火口の周辺にわずかに火山灰が降った程度で,麓では火山灰は確認されていない.

 
図6 火口底の写真.
上から1915年,1973年噴火後,1982年噴火後

 

 
図7 浅間山の火口底の深さの変化.
20世紀初頭に火口底の深さは浅くなり,その後深くなっていった.

 

 こうした事実は,どう考えればよいだろうか?今考えられている仮説は,次のようなものである.浅間山は100年程度の時間スケールで活動の規模がしだいに小さくなっていった.1973年以前の噴火では,マグマが地震を伴いながら急激に上昇し,そのまま噴火につながったが,1982年以降の噴火では,マグマは地震を伴って上昇を開始するが,十分に上昇できず,途中で止まってしまう.地下浅部にとどまったマグマからは,火山ガスが分離して,噴気異常,火山ガスの異常放出,火山灰の噴出などを起こす.火山ガスの量が多い場合は,1982年の噴火のように,高温に加熱された岩片等を噴出し,火砕流や泥流を起こすこともある.こうした状況では,ただちに山麓に大きな災害を引き起こす大規模な噴火に移行することはないと思われるが,マグマが上昇をやめた後は,地震があまり発生しないので,小規模な噴火を予測することは困難である.

  6.浅間山の今後の活動と防災

 ここまでの話で,浅間山の活動がしだいに小さくなってきたことを述べたが,このことは,当然のことながら,浅間山では噴火の心配はないと言っているわけではない.いずれは天明の大噴火クラスの噴火が再来するであろう.それでは,どう浅間山に向き合っていけばよいであろうか?この事に触れる前に,みなさんに理解しておいていただきたいことがある.それは,一口に噴火と言っても,その規模には小さい噴火から巨大な噴火まで10万倍,あるいは100万倍もの違いがあるということである.そして,その起こる頻度も巨大なものはまれである.また,噴火の起こり方も同じではないし,そこから派生する災害も違ってくる.したがって,火山と向き合って生きていくためには,現在や数日という近い将来から数10年というやや長い時間について,それぞれ対策を考えていく方が効率的である.現在,あるいは数日という短い期間に関しては,浅間山の活動がやや活発になっているが,これまでのところ,マグマが上昇できないでいるという仮説を支持する状況が続いている.たとえば,地震の発生数はそれほど増えていないし,マグマが地下から供給されることによって山がわずかに膨張する地盤変動は,2002年6月頃に見られたが,現在はおさまっている,地磁気観測では,2002年6月から8月に地下の温度上昇を示す変化が検知されたが,現在は停止している.したがって,現在の状態が続く限りは,火口の周辺については危険であるが,山麓の居住地区ではそれほど心配する状態ではないと言える.浅間山の活動が,今以上に活発になるかどうかは大きな問題であるが,地震活動が現在よりもっと活発になるとか,GPS観測などの地盤変動観測データに異常が現れた場合には,山麓部においても被害がおよぶ可能性が出てくるであろう.これに関連して,浅間山の活動が活発化したということで,ホテルなどのキャンセルが多く出たという話を聞く.この問題は,多くの火山で同じように起きているが,共通して言える事は,世の中に流れている情報が正確ではないことに多くの原因がある.山頂の火口周辺と火口から10km近くも離れた山麓とではリスクも当然のことながら異なる.こうした違いを意識した情報が出され,情報を受け取る側もそのことを理解していれば,混乱はもっと少なくなるであろう.ハザードマップと連動した情報の発信や防災対応をすること,ホームページの利用も含めた広報体制をとることも,検討に値する.たとえば,「地震の数が増え,浅間山の活動のレベルが1から2に上がった.この状態では,ハザードマップに示す範囲(火口付近)で被害のおよぶ噴火の可能性があるが,山麓部には影響はないであろう.」とか,「地震数の増加が長期間続いている.山の膨張も確認され,レベルが3から4に上がった.火口付近だけで はなく,ハザードマップに示す山麓部においても噴石等の被害がおよぶ噴火が発生する可能性がある」といった具合である.岩手山の危機に際して作成された岩手県のホームページをぜひ参考にして欲しい.以上は,浅間山の現在および近い将来を見たものであるが,浅間山もいずれは次の大きな活動期に入るであろう.あるいは,現在がその入り口であるかもしれない.仮に大きな活動期に浅間山が入れば,山麓部においても大きな被害が心配される.行政も住民も,新たな対応をせまられるであろう.他方,情報を出す気象庁や火山学の立場からアドバイスする研究者も,実は,この問題に関しては未解決の課題を数多く持っている.たとえば,浅間山のマグマはどこでどのように生産され,どこにどれくらい蓄積されているか,わかっていない.また,次の噴火の準備がどのように進んでいるかもよくわかっていない.20世紀の活動期の初期段階では,浅間山周辺で有感地震が多発し,山の膨張も見られたらしい.浅間山の地下構造を調べて,どこにマグマが蓄積されつつあるかを調査し,火口周辺のやや深部の地震活動の状況,地盤変動の推移に注意することも有力な方法である.浅間山の大きな活動期を迎える準備はまだ始まったばかりである.

 


  気象庁の火山活動解説資料のページ
http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact.htm

  岩手県の防災のページ
http://www.pref.iwate.jp/~hp0108/

  火山学会のページ
http://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/jishome/VSJ1.html

  東京大学地震研究所火山センターのページ
http://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/vrc/VRCJ.html

 


公開講座03目次へ      ・NPO法人日本火山学会ホームページへ
2003年10月,日本火山学会: kazan-gakkai@kazan.or.jp