1.なぜ富士山のハザードマップか?
富士山の地下約15kmを震源とする低周波地震が、平成12(2000)年10月から12月にかけて100〜200回観測され、また翌年の4月末から5月の初めにかけても多発した。震源の深さに特に変化はなく、また異常な地殻変動が観測されていないことから、火山噴火予知連絡会において、ただちに噴火等活発な火山活動に結びつくものではないとの見方が示された。一方このニュースにはマスコミが敏感に反応して,日本国中のみならず海外にまで反響が広がっていった.
富士山は,火山学的に言えば,きわめて若く,活動的な火山である.このことは,火山の平均的な寿命が数万年から数十万年に上ることをふまえての表現である.最近300年間は噴火していない富士山だが,それでも火山全体の寿命に比べれば短い期間であるといえる.しかし,人間の世代交代の年月は数十年のオーダーであるから,300年間も平穏であったということは,この山は活動的でない火山だと人間がうけとっても無理はないということになるかもしれない.
2000年10月から始まった低周波地震の群発は,地域社会に大きな衝撃を与えた.衝撃の一部は,「富士山は休火山と聞いていたので,噴火するとは思っていなかった」というような証言に反映されているが,火山という自然現象の息の長さと人間の一生の短さとのギャップが重要な原因のひとつであることは確かである.
2000年の暮れといえば,有珠山と三宅島の噴火が進行中であり,雲仙普賢岳の災害などの記憶も新しく,富士山周辺の自治体の関係者の方々も,前向きに富士山噴火の防災他作を考えるべきであるとの意見を持たれるようになった.国(担当は内閣府)もこれを受けて,県知事,市町村長,国務大臣レベルの「富士山火山防災協議会」を2001年7月に発足させ,同時に作られた「富士山ハザードマップ検討委員会」に諮問を行った.
「ハザードマップ」を作ることが委員会の主要な仕事であることはたしかであるが,さらに自治体が策定すべき「地域防災計画」の内容についての実質的な検討をも含んでいる.これまでに,日本の主要な活火山約30について,ハザードマップが作成されているが,いずれも地方自治体が主となって作られたものである.国レベルで広域的な災害をも視野に入れて,ハザードマップを作ることは,富士山が始めての例であった.
2004年6月末に完成した最終報告書は,本文が330ページあり,付随する図表も多数に上り,これまでにない広範で突っ込んだ議論を踏まえて作成されたものである.なお,「ハザード」という語は,火山活動によって発生する物理的な破壊作用に限られ,人命の喪失や,経済的な損害まで含める「リスク」という語とは,厳密には区別される.そこで,検討委員会の最終報告書では,「ハザードマップ」の代わりに「防災マップ」と表記することにした.
2.マップ作成の手順
検討委員会は,新富士火山の過去3200年間の噴火活動に基づいて,将来起きる噴火の可能性について評価を行った.まず,この期間に活動した火口の位置や噴出物の量,噴火様式などのデータベースを作成したが,富士山は過去の噴火の産物の種類も数も多く,しかも定量的な記録がすでに研究者によって発表されているので,良質のデータベースを作ることが可能であった.それに基づき,噴火の規模を小規模(噴出したマグマの量が 0.02 km3 以下),中規模(同 0.2〜0.02 km3 以下),大規模(同 0.2 km3 以上)に大別し,それぞれの場合に対応した噴火のシナリオを検討した.
火山の噴火活動にはきわめて多彩な様式が認められ,弾道投出岩塊,プリニー式噴火などによる火砕物降下,火砕流(火砕サージを含む),溶岩流,岩屑なだれ,土石流・泥流,地殻変動,地震動,火山ガス,空振,など十数種もの異なった現象がいつでも起こりうるというのが特徴である.この点は,たとえば地震災害と決定的に異なる特徴である.地震災害は主として地震による地表面の振動によって引き起こされるので,予測される破壊の種類・特性が絞られるが,火山災害は加害現象が多岐にわたるため,防災上の問題点が特別に多くなるのである.
一般論として,ハザードマップには,
1.個々の特定された条件の下に起きる事象に限定して記述するマップ(例えば特定の地点から特定の噴出率,温度,マグマの種類,継続時間などで流出する溶岩流の予想マップ)と,
2.当該地域で特定の期間内に発現するすべての事例を累積的に表現するマップ(例えば特定の期間内に任意の地点が溶岩流によって覆われる確率を示すマップ)
の2種類に分けることが出来る.
1.のケースについては,溶岩流,火砕流,土石流,プリニー式噴火などのシナリオに関して数値シミュレーションを行った.個々のシミュレーションによって描かれた予測図を,検討委員会では「ドリルマップ」と呼んでいる.
2.のケースは確率論的なアプローチが必要であるが,火山活動のように過去の事例数が多くない場合は極めて困難な作業となる.本委員会では「可能性マップ」とも呼ばれている.
図1は,1と2を折衷した様なマップであるが,溶岩流が流出してからどのくらいの時間で現地に到達するかを,危険度の低い側(安全度を大きくとった側)に限って表現した図である.この図を作成する手順は次の通りである:
まず小規模噴火の場合に限って考察し,図2のように,火口分布範囲の最外側の任意の地点から溶岩が流出したと仮定し,複数の数値シミュレーションを行う.同様なシミュレーションを,中規模と大規模噴火の火口範囲のそれぞれの最外側に複数の火口を設定して計算する.これらを全部重ねて到達時間が最も外側に来る地点をつなげて線を引いたのが図1である.
図1 溶岩流の到達時間を示す可能性マップ.説明は本文を参照. |
図2 小規模噴火による溶岩流のシミュレーションの例. |
この図は,富士山で噴火が始まると,任意の地点に最短で何時間以内に溶岩流が到達する可能性があるかを,色分けで示している.注意すべき点は,この図は最悪の最も早く溶岩流が到達する場合だけを示したものであって,確率的な表現はなされていないという点である.しかし,防災・減災の観点からは,最も悪い条件のケースに注目し,最も安全度が高い対策を考えるという考え方は,ある意味では肯定されるべきであろう.
図1のような方法を使って,様々な噴火の加害現象について,危険な領域の範囲を設定することが原理的には可能である.図3はその例であり,火砕流の到達範囲,火口から投出される噴石の到達範囲,融雪時に発生する泥流の到達範囲および溶岩流が3時間以内に到達する範囲(図1から引用)が示されている.大ざっぱな表現をすれば,これらの範囲を示す図は住民などの避難をあらかじめ計画する場合に基準となりうるものである.
3.ハザードマップの問題点
図3を中心として,ほかにさまざまな火山現象の解説や,気象庁が公表する火山情報の種類の説明や,さらに火山は災害だけをもたらすものではなく,すばらしい恩恵を与えてくれるものであるという説明などを書き加えて,一枚の大きな紙に印刷したのが図4である.
図3 溶岩流,火砕流,噴石,融雪時泥流などの危険区域を示す図. |
図4 住民配布用に作られたハザードマップ. |
このようなスタイルのハザードマップが,日本の火山については一般的であり,火山の周辺の住民に戸別に配布される.富士山のハザードマップはもちろんであるが,このようなハザードマップは,大量の情報を含んでおり,学術的にきわめて高度な内容であるとも言える.
しかし,詳細であり,正確であることは,逆に内容が難しくて,非専門家にとって分かりにくいマップという欠点がはっきりしてくる.日本の火山ハザードマップの多くがすでにこのような指摘を受けているのである.今後はもっと住民や観光客に分かりやすい表現方法を使ったマップを作る必要がある.
ハザードマップを作る主要な目的は,火山災害を防止,軽減することである.防災・減災の実務は国や地方自治体の防災担当者が実際の主役になる.この人々が利用し,頼りにするのは,地域防災計画と呼ばれる行政マニュアルであり,その一部としての具体的なハザードマップである.このタイプのマップは,まだ多くの火山では作成されていないのが現状である.火山に関する地域防災計画の作成もぜんぜん進んでいない.富士山に限ってみても,今回,国の委員会が作成したマップは,富士山全体をカバーする概要を示しているに過ぎない.各市町村ごとのマップや防災計画の作成はこれからである.
参考ホームページ
富士山火山防災協議会: http://www.bousai.go.jp/fujisan-kyougikai/
富士山の火山防災対策: http://www.bousai.go.jp/fujisan/