自然の地形造形力と侵食力のバランスの上に地形は成り立っています.大きな侵食力に打ち勝って北アルプスが急峻な山岳でいるという事実自体が,「北アルプスが現在も隆起中」か「ごく最近隆起した」ことを意味しています.つまり,北アルプスは生きているのです.ただし,地球科学では,「ごく最近」は,過去数100万年を意味します.地質学的にも,第四紀地殻変動研究グループ(1968)によって,北アルプス脊梁部が第四紀200万年の間に約1.7km隆起したとされています.北アルブスは,基盤の花崗岩が露出する東西幅数10kmの雄大な褶曲構造をしています.その中に,いくつかの活動的な火山がちょこっと顔を出しています.花崗岩は少なくとも約3km以深でゆっくり固まった深成岩ですから,「最大標高約3,000mの巨大な花崗岩体」という事実そのものが,3,000mをはるかに超える山脈隆起を物語っています.一方,目を北に移すと,深さ1,000mを越す富山湾があります.つまり,この地域は,北アルブスから富山湾まで,わずか約50〜100kmの距離で比高が4,000m以上にも達する,世界でもめずらしい生きた変動帯なのです.
この変動帯は,地震や火山をはじめ,不思議なことに満ちあふれています.たとえば,
(A−1)何故200万年から300万年前に突然隆起を始めたのでしょうか?
(A−2)現在も隆起し続けているのでしょうか?
(A−3)何故この場所が隆起の場所として選ばれたのでしょうか?
(A−4)どんな力がこの山脈を持ち上げているのでしょうか?
(A−5)何故脊梁部に沿って群発地震がよく起こるのでしょうか?
(A−6)何故,山脈のど真ん中で1984年M6.8長野県西部地震のような大地震が起こるのでしょうか?
(A−7)北アルブス山脈の隆起と糸魚川一静岡構造線の地震活動とは関連があるのでしょうか?
これらは,いずれもよく分かっていません.
北アルプス周辺には,東京大学地震研究所地震地殻変動観測センター信越地震観測所(長野県長野市),名古屋大学理学部高山地震観測所(岐阜県高山市),京都大学防災研究所付属地震予知センター上宝親測所(岐阜県上宝村)が地震観測点を配置しています.第1図は,上宝観測所によって決定された,飛騨側からみた北アルプス周辺の微小地震の震源分布図です.期間は1977年5月から1995年3月までの約18年間,マグニチュード1から5程度までの約4万個の地震です.丸印が地震の位置を,大きさがマグニチュードを表します.この図は,非常に多くの微小地震が至る所で発生していること,我々が知らないうちに,地下深部では,絶え間なく地殻変動が進行していることなどを教えてくれます.第1図をよく見ると,地震が特に密集分布しているのは,主として次の4ケ所であることが分かります.
(B−1)北アルプス脊梁部の群発地震,
(B−2)1984年MJ6.8長野県西部地震の余震域,
(B−3)1993年MJ6.6能登半島沖地震の余震域,
(B−4)跡津川断屑(富山一岐阜県境).
第1図 上宝観測所によって決定された北アルプス周辺の微小地震の震源分布図.
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北アルプス脊梁部では,しばしば,鳥帽子岳(3県の県境部),乗鞍岳,焼岳などで群発地震が発生しますが,御嶽以北では,大きい活断層もなく,大きな地震は起こりません.最大でも,1963年2月9日槍ケ岳直下(深ざ0km)のMJ5.5の地震で,1968年以降では1986年3月7日乗鞍岳南西(深さ10km)のMJ4.9の地震でした.この地域の地震は,深さが約8km以浅と,周辺より浅いことが特徴です.なぜでしょう?日本列島では,地震は,通常,上部地殻内の深さ20km以浅で発生します.跡津川断層を含む飛騨高原地域や他の北陸地域でも,ほとんどの地殻内地震は深さ20km以浅に起こっています.これらのことは,深さ20km程度で温度が300℃から400℃に達し,地殻を構成する花崗岩がバリバリという断層ズレ破壊を起こさなくなるからと考えられています.このことは,北アルプスの脊梁部の地殻が周りに比べて熱く,深さ約8kmで温度が300℃から400℃に達していることを意味していると思われます.何故この地域が周りより熱いのでしょうか.後述するように,もし,この地域の地下直下にマグマ溜りがあるなら,周りより熱くても不思議ではないでしょう.これらの群発地震は,よくみると,非常に奇妙な「震源域の移動」を起こしています.たとえば,1993年6月から1994年1月にかけて,槍ケ岳から焼岳周辺で激しい群発地震が起こりました.発生のしかたをよく見ると,群発地震は,第2図のAからGの順で,約1ケ月間隔で小さな群発地震を起こしながら,差わたし東西10km,南北20kmの範囲内を,間欠的に移動しました(和田・他,1994).「震源域の移動」は何を意味しているのでしょうか?単純に地殻応力が高まるだけでは,この様な現象が起こるとは思えません.地下のマグマやマグマ由来の熱水などの運動がこの様な現象を引き起こしているとしか思えません.
第2図 (A):1993年6月から1994年1月の,槍ケ岳から焼岳周辺の群発地震の震央分布図.
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1991年10月17日,北アルプスの地殻構造を明らかにすることをねらいに人工地震観測実験が行われました。群馬県我妻(S1),長野県松代(S2),富山県熊野川ダムサイト(S3),富山・石川県境(S4)の四ケ所で,午前1時から10分おきに約1トンずつのダイナマイトを爆発させ,北アルプスをまたいで東西約180kmの測線上に並べた約150の地震計で地震波を観測しました.北は北海道大学から南は九州大学まで,100人近い地震学研究者や学生が参加しました.第3図がその成果の一部です.縦に並べた一つ一つの波形が,一つの観測点の波形です.下から上に向かって時間が経過します.このように地震記録を密に並べた表示方式をレコードセクションと呼ぴます.
時刻には,伝搬速度を6km/秒として爆破点からの伝搬時刻の補正がなされており,もし,地殻が均質で一様だと「P波の始まり」が横一線に並ぶことになります.実際の地殻構造は大きく変化しているので,第3図のレコードセクションのように,爆破点(松代,S−2)からの距離によって「P波の始まり」が遅くなったり早くなったりしていることがわかります.非常に奇妙なことに,第3図のように,松代の爆破点から地震波は,立山を西に数km越えたあたり(「地震波が消える」と書いてあるところ)で見えなくなってしまいました.逆に西側の爆破点からの地震波も,立山を東に数km越えたあたりで見えなくなってしまいます.つまり,立山直下数kmの深さに,地震波を強カに遮断する物体が分布していることが確認されたのです.
第3図 1991年人工地震観測で得られた記録のレコードセクション.
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武田・他(1997)は,このデータから,地震波の異常減衰,地震波低速度異常,重力異常を統一的に説明するために,第4図の様な地殻構造モデルを提出しました.このモデルでは,北アルプス脊梁部直下深さ約5km以深に,東西約20km幅の奇妙な低速度物体(1ow velocity bodyと書いてある部分)が存在します.「北アルプス脊梁部直下の地震波を遮断する速度の小さな物体」の正体は,北アルブスに深さ数kmほどのボーリングをすれば分かると思われますが,現在のところは少ないデータであれやこれや憶測する他はありません.とはいえ,次の3つの可能性しかないと言えそうです.
(C−1)かなりの量の熱水を含んだマグマ溜り.
(C−2)多量の水分を含んだ多孔質の岩石.
(C−3)(C−1)と(C−2)の組み合わせ.
北アルプスの地下が非常に熱いのではないかと思わせる状況証拠の一つが,通産省工業技術院地質調査所の原山博士が見つけた,槍ケ岳山麓滝谷の世界で一番新しい花崗岩体です.北アルブス地域の花崗岩体は,大きく,旧期花崗岩と新期花崗岩の2つに分けられます.旧期花崗岩の年代は8,000万年から5,000万年ですが,原山博士によって,槍岳山麓の滝谷の新期花崗岩の年代は約200万年前で,世界で一番新しいことが判ったのです.ここでいう花崗岩体の年代とは,地下での花崗岩マグマの固結開始時期をさします.地下深部でゆっくり冷えて固まった花崗岩体は,通常,数100万年から数1000万年という年月の侵食を受けて地表に表れます.したがって,滝谷のように新しい花崗岩体が地表にあるということは,この地域が,最近数100万年,激しい隆起運動を受け続けてきたということを意味しています.そして,この岩体の下数kmにマグマ溜まりがあるに違いありません.
第4図 1991年人工地震観測実験の記録の解析からえられた地殻構造モデル.
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地球上のあらゆる物体は地球の重力によって地球の中心に向かって引っ張られています.この重力の大きさは重力加速度で表すと約9.8m/s2(980ガル)です.地殻内に,熱水を含んだマグマなどのような密度の小さい物質が分布していると,その直上の重力は小さくなります.この様な,「平均的な重力からのズレ」を重力異常と言います.重力異常の中で,地表から上の山体の重力を補正したものを特にブーゲ異常と言います.金沢大学の河野教授は,過去20年にもわたって,日本国中の重力異常を精力自的に測定しまわりました.それによると,北アルプス脊梁部のブーゲ異常は‐80mga1程度でした.この重力異常から,河野教授のグループは,周辺よっも「密度が小さな物体」が,北アルプスの深さ4〜6kmあたりに分布しているという結論を得ています(源内・他,私信).これもまた,地下にかなりの量の熱水を含んだマグマ溜まりが存在することを示唆しています.
北アルプス隆起の間題を解く鍵の一つは,1980年代に地震学の分野で発展した地震トモグラフィーにあるように思われます.医学の分野におけるCTスキャンでは,色々な方向から人体に超音渡やX線を当て,透過波の強弱から,人体内部の微細構造を探ります.地震波を使って同様な方法で地球内部を覗き込むのが地震トモグラフィーです.京都大学防災研究所グループの根岸・他(1994)は,微小地震観測網のあらゆるデータを用いて北アルプス周辺域のP波トモグラフィーを行いました.得られた成果が第5図です.第5図は,深さ6kmあたりのP波速度の「平均的速度(6km/s)からのズレ」を示します.赤色系の色が地震波速度が小さく柔らかい部分を示し,青色系の色が地震波速度が平均より大きい部分を示します.立山周辺から乗鞍辺りにまで,P波速度が5.5km/sの低速度の物体が拡がっていることが読みとれます.
第5図 地震トモグラフィーによってえられた深さ6kmあたりのP波速度の平均的速度(6km/s)からの揺らぎ.
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微量元素化学組成や,ヘリウム(He)などの元素の同位体の研究も重要です.Heの同位体比は,大気中で10-6(100万分の1)ていど,地球深部からのマントル対流の湧き出し口である中央海嶺の火山ガスなどで10×10-6ていどです.したがって,この数値が10に近ければ地球深部に由来する(たぶんマグマとともに上昇してきた)水やガス,1に近ければ雨水が地下に染み込み再ぴ地表に還流してきたものと考えることが出来ます.北アルプス周辺では,白山で11.4,立山で10.9,焼岳で10.7,御嶽で8.6などと高い値を示しており,これらの火山ガスは,地下深部のマグマなどから染み出してきたものであると言えます(佐竹,私信).これらの温泉水や火山ガスの「根っこ」は,地下深部,多分,マグマ溜まりにあるのです.
今まで述べて来たことを総合すると,(A−1)から(A−7)のいくつかについて,答えが見えてきたような気がします.これまで述べて来た,北アルブスの構造と隆起に関係した観測事実は,大局的には,矛盾無く,
(D−1)北アルブス脊梁部の深ざ数kmの熱水を含む大規模なマグマの溜まりらしきものを指し示していると思います.
このことから,多くの研究者は,何故北アルプスは高いのかについて,次のように推測しています.
(D−2)北アルプス脊梁部の地殻は熱くて柔らかい.
(D−3)プレート沈み込みにともなう東西圧縮の地殻圧縮応力による弾性変形がこの部分に集中した.
(D一4)そのため,北アルブスが隆起した.
この推測を図にしたのが第6図です.狭い意味での火山活動はほとんど無くても,地下ではマグマはうごめいており,群発地震を誘発しています.広い意味で,北アルプスは生きていると言えるのではないでしょうか.1996年度には,地震研究者の総力を結集した,北アルプス集中観測が行われました.大規模に臨時観測網が展開され,地震渡の異常減衰域,低速度異常,震源分布に関してより詳細な研究結果が得られつつあります.今後も,地震のほか,GPS観測など,今までよりも幅広い方向からの親測も予定されています.これらの観測成果をもとに,北アルプスをテストフィールドとした新しい山脈形成論が展開されることを期待しようではありませんか.
第6図 北アルプスの地殻構造の概念図 |