蔵王火山

山形大学理学部教授  大場与志男


1.はじめに

 山形県のマークは3つの山が描かれています.蔵王山,月山と鳥海山ですが,これらはいずれも火山です.特に,蔵王と鳥海山は活火山で活動記録もあり,最近では,例えば鳥海山は1974年にも小噴火を起こしています.これらの火山は,いずれも地質時代的には最近になって形成されたものであることは知られていましたが,いったい何時から”火山”だったのでしようか?溶岩の冷え固まった年代が測定で出来るようになって,いろいろの事が判ってきました.
 蔵王山を例にすると,この火山は地質時代で最も新しい,第四紀の前期,約数十万年前から火山活動は始まっていました.時間を万年単位でセットしますと,蔵王山の流転の姿が浮び上って来ます.実際に蔵王山を見て歩くとして,どこでどう見たらいいのでしょうか?やはり,バスや車で現地まで行き,地形を眺め,大地を踏みしめて歩くのが一番でしょう.先ずは蔵王山全体の姿を見てから,いくつかの地点で火山見学することにしましょう.

2.蔵王火山のあらまし

 蔵王火山は,東北脊梁上にある幾つかの火山体の総称で,北北西−南南東に北蔵王(雁戸山),中央蔵王(熊野岳・刈田岳など),南蔵王(屏風岳・不忘山など)および西蔵王(滝山)から成っています.北および西蔵王は古い火山で,開析され,南蔵王は活動時期としては先行する火山群です.第1表に溶岩のK-Ar年代と,火山形成史をまとめてあります.これらの火山を構成する溶岩類の多くは,やゃ珪酸の乏しい安山岩ですが,中央蔵王の第I期や,南蔵王,龍山には玄武岩質の溶岩類も知られています(大場・今田,1989).

 中央蔵王は御釜を中央火口に持ち,蔵王全体として最新期まで活動した火山です.歴史時代の活動(1183?, 13世紀, 1867,1895-97, 1918-23)はすべて御釜で起っています.
 蔵王山には火山の恩恵の一つである温泉があります.山形県側では蔵王温泉があり,山形市周辺の温泉も,蔵王火山と無縁ではありません.宮城県側では,峨々,青根,遠刈田の諸温泉があります.しかし,困ったこともあります.蔵王温泉は強酸性の硫黄泉であり,かって硫黄を採掘した蔵王沢は酸性水を流し続けています.蔵王火山の地下には広く硫化変質帯があります.
 では,実際に蔵王火山に入ってみましょう.中央蔵王の地質図を第1図に示しましたが,この中にこれからの立ち止まって観察する地点も番号で示してあります.

3.実地見学  
3−1 蔵王温泉樹氷橋
 酢川にかかる樹氷橋に来ました.この付近一帯は,酢川岩屑流堆積物が厚く,また,その底部が顕著な変質帯となっているため,橋や建造物を作る場合には地質的にいろいろの問題を生じています.この岩屑流(泥流)は,温泉の背後にある鳥兜山を中心として,滝山から横倉岳にかけて径2.5kmの山腹が大きく崩壊して生じたものです.この堆積物は西方に上山市街まで10km余を下り,地形的には,はなれ山,流れ山,小湖沼などの特徴を作っています.崩壊した堆積土の全量は2ないし3立方キロメートル で,約4万年前の出来事とされています.
 この橋は,冬季スキー場への交通対策として設置しされましたが,地盤が安定せず地すべりを起こしています.その対策に水抜き工事や杭打工,土止工などが実施されています.

3−2 蔵王温泉展望台
 温泉街はお椀の底のような窪みにあります.これは上で述べた酢川岩屑流を生じた崩壊の跡です.蔵王温泉は,温泉量と観光客の数から山形県最大の温泉です.また冬のスキー場として特に有名です.泉源は山側の谷にあり,泉質はpH=2以下と云う強酸泉です.湧出量は毎分1万5千リットルで,市営の大露天風呂もあります.温泉は,二度川などの谷間に湧いているものや,温泉街の何ケ所から汲み上げています.
 滝山は海抜1362.1mで”りゅうざん”と読みます.山形市街からは蔵王山を隠すように立ちふさがっています.溶岩は低カリのソレアイト質玄武岩が卓越し,それらの年代も約百万年前と古い値が得られています.山の南半分は先に述べたように大きく崩壊し,また北西側も崩壊し神尾岩屑流を生じています.樹氷橋の少し下流,酢川の露頭では溶岩が変質し,部分的に石膏(CaSO4)やアラレ石(CaCO3)を析出している所があります(長沢ほか,1988,1989).

3−3 仙人沢
 蔵王温泉と猿倉を結ぶ旧蔵王ラインは,かっては観光有料道路でしたが,いまは一般道となっています.その中程に2本の沢があり橋が架かっています.北側の蔵王沢は,かっての硫黄鉱山採掘跡を流れる強酸性水ですが,すぐ南の仙人沢は清水でハイキングコースも設定されていました.しかし,10年ほど前の豪雨ですっかり荒廃しました.加えて上流部での硫化変質帯の侵食や,汚水の放出などにより,その水質も安心出来なくなりました.蔵王沢は間もなく仙人沢と合流し,その後は酸性度が強く農業用水として不適当となります.そのまま,須川となって上山,山形の盆地に流下しています.このために,上山市東部の生居ダムと,ダムまでの水路の工事が1984年より開始され,完成は1991年でした.通常は,蔵王沢の混入する前の,清水をこの仙沢橋から引水しています.しかし,1993年頃から,融雪期や大雨時に河川水の酸性度が上がり(pH=4)岩魚が浮くなど,引水出来なくなる事態が起りました.現在ではダム管理棟で水質・気象状況に応じて,水門を閉ざすことが出来る体制を取っています.仙人沢の水の酸性化は,上流部の左又沢に露出した硫化変質帯が,出水などで洗われるためであることが判明しています.

3−4 坊平
 エコーラインは,昭和37年の開設で蔵王観光のメインルートとなり,上山市坊平より宮城県遠刈田温泉まで通ずる有料道路でしたが,現在は一般道路となっています.しかし,冬季は閉鎖されます.坊平は,熊野岳中部溶岩流の作る平坦地形で,各種のレクレーション施設があり,夏の避暑,冬のスキー場として利用されています.すぐ北を渓谷を作って流れる沢は,先ほど見た仙人沢の中・上流に当たりますが,熊野岳中部溶岩類の溶岩が幾層も見られ,不動の滝などを作っています.またこの沢では,溶岩のK-Ar法による年代測定が多くされており,それらの多くは20〜30万年前を示しています.

3−5 御釜と刈田岳
 蔵王頂上部は,熊野岳から刈田岳にかけて鞍部(馬の背)となり,東に大きく爆裂火口が開いています.その中央火口丘である五色岳に,蔵王のシンポルでもある御釜があります(第2図).御釜は標高1550m にある火口湖で,直径約300mあります.湖水は酸性(pH=3.5)で生物は生息せず,湖水の色は鮮やかなブルーを呈します.しかし,かっての活動期には乳白色となったそうです.この御釜は,昭和初期より旧山形高校の安斉教授らによって調査されています.大正7年(1918)に噴気があって,活動は一旦衰えていましたが,安斉教授の測定では昭和8年(1933)に約40m あった湖底は,昭和14年(1939)には約60mで底の温度は128℃となり,ガスが噴出していたと云われています.水温は夏期に表面で18-20℃ になりますが,30m 深度ではほとんど常に4 ℃の低温層があるとも云われました.現在もっとも活動的で地温の高い場所は,北側の丸山沢底で100℃を越える硫気孔が何カ所かあります.
 下のバス停から上がるリフトの終点を通り,刈田岳から熊野岳の左肩にかけて,右(東)落ちの直線に近い断層崖が確認されています.これは,航空写真でも明瞭です.馬の背火口形成に伴われる地面の”ずれ”と思われます.
 刈田岳は溶岩円頂丘と考えられますが,その肩部にはより新期の,馬の背火口噴出物のスコリア層をのせています.

第2図 蔵王御釜と馬の背爆裂火口壁

3−6 エコーライン・宮城側1570m付近
 刈田岳の東,エコーライン途中の道脇に,火砕岩(火山放出物)の層を切った大きな崖があります(第3図).下半は,比較的細粒の黒いスコリアから出来きていますが,上半は溶岩餅火山弾や紡錘状火山弾からなる集塊岩が,おおまかな層理を示して堆積しています.火砕岩が急速に堆積したことを思わせるクロスラミナ(斜交層理)が見られます.火山弾などの岩質は,SiO2 =53%程度の玄武岩に近い安山岩です(大場・今田, 1989).

第3図 エコーライン沿いの蔵王火山噴出物

3−7 刈田岳−大黒天間
 刈田岳から大黒天にかけての南火口壁縁には,砂地に混ざって長さ1.5-2.5cm 柱状の普通輝石結晶が散在します).このように大きな輝石が火山噴出物中で拾われることは稀です.一般に蔵王火山の溶岩,とくに熊野溶岩類には,普通輝石の大きな斑晶が見出されますが,ここでは,馬の背火口噴出物のスコリア質火山れきや火山灰と共にマグマから分離放出された普通輝石結晶が,洗い出されて集積したものと考えられます(大場・今田,1989).
 火口壁を作る火山噴出物は黒色で,一見しては溶岩流のようですが,スコリアと溶岩片が餅のように偏平になって積み重なっている溶岩餅集塊岩です.

3−8 大黒天
 ここは蔵王火山全体を展望できる場所です.深く刻んだ濁川の谷底には基盤のかこう岩が出ています.侵食によって,蔵王火山の底部が露出しているわけです.
 中央が五色岳で,蔵王火山の中央火口丘です.右手にある振子滝あたりと,右奥の通称”ロバの耳”は,第I期の噴出物で,これらは百万年前余り前の古い山体です.右手の谷底にはかって”かもしか温泉”がありましたが,1980年ころに雪崩で壊われてしまいました.
もう1段下の駒草平では,火山礫からなる平坦地に毎年7月に駒草が咲きそろいます.さらにエコーラインを下って,賽の磧(溶岩面)からは濁川に下りる道があり,そこでは,標高1,000mの場所に基盤のかこう岩類が露出ています.その対岸にある名号峰(1491m)もかこう岩です.

 以上,蔵王火山の地形や地質を紹介しました.専門的な説明になった所もありますが,100万年と云う長い時間での自然と火山の関わりを,少しでもお伝えすることが出来れば幸いです.

文 献

阿子島功(1985):蔵王火山の侵蝕食過程.山形県総合学術調査会報告,344-353.
安斎 徹(1960):神秘の火口湖,蔵王の御釜.
今田正・大場与志男・土肥浩巳・玉井ます美(1986):山形市東部,滝山火山の地質と岩石.岩鉱,82,345- 351.
長澤一雄・大場与志男・加藤 啓(1988):滝山火山の火砕岩からのアラゴナイトの産出.山形県博物館研 究報,9,61-66.
長澤一雄・大場与志男(1989):蔵王温泉酢川変質帯から産出した透明石膏.山形県博物館研究報,10,43-50.
大場与志男・今田正(1989):中央蔵王火山の地質と岩石.山形大紀要(自然科学),12,2, 199-210.
三枝正彦・庄司貞雄(1984):蔵王火山灰の分布と特性.ペドロジスト,28,14-25.
酒寄淳史・吉田武義・青木謙一郎(1984):那須北帯・南蔵王火山噴出物の地球化学的研究. 東北大核理研報,17,346-355.
酒寄淳史(1985):南蔵王火山の地質.岩鉱,80, 94-103.
酒寄淳史(1992):蔵王火山の地質と岩石.岩鉱,87, 433-444.
田宮良一(1985):蔵王火山周辺の温泉.山形県総合学 術調査会報告,139-150.
高岡宣雄・今野幸一・大場与志男・今田正(1989):蔵 王火山溶岩のK-Ar年代測定.地質雑,95,157-170. 千葉とき子(1961):蔵王火山の岩石学的研究.岩鉱, 46,73-82.


公開講座目次へ      ・日本火山学会ホームページへ
1998年9月,日本火山学会: kazan@eri.u- tokyo.ac.jp