1.はじめに
あの恐ろしい阪神・淡路大震災の発生から早くも5年の歳月が経とうとしています.被災された方々の間に,二度とあんな目に遭いたくないという思いが強いのは当然ですが,「あの地震があったから神戸はあと千年は大丈夫」という気分が広がっているといわれます.また,あの地震は特別に強烈だったという受け止め方から,「阪神大震災で無事だったものは安全」という感覚も強いようです.しかし,残念ながら,両方とも正しくはありません.
「地震学は何ができるか」という今回の総合タイトルはたいへん重い問いで,何もできなかったではないかと言われそうですが,現代地震学の研究成果を一般の方々にもっと知っていただき,地震現象の理解を深めていただくことが,社会全体が地震に対して強くなっていくことの原動力ではないかと思います.今夜は,すぐに役立つ身近な地震対策といった話ではないのですが,私たちが地震とどう向き合うのがよいかを考える参考にしていただければと思います.
2.地震・地震動・震災
「地震」という言葉は,日常的には,大地の揺れという意味で使われています.しかし地震学では,「地下の岩石が破壊して地震波(地球内部を伝わる岩石の振動)を放出する現象」を「地震」と呼び,地震波が地表に達して地面が揺れるのは「地震動」と呼んで,二つの現象を区別して捉えています(図1).地下の岩石破壊の規模を表わす尺度が「マグニチュード(M)」で,地点ごとの地震動の強さを示す目安が「震度」です.いっぽう「震災」というのは文字どおり「地震災害」ですから,強い地震動を受けた地域に人間が暮らしているときに発生する人間的・社会的現象で,その様相は社会・文明の状況に依存します.決して「地震の大きいのが震災」ではありません.
このように分けて考えると,地震は自然現象だから止められないが,震災は社会現象だから私たちの努力次第で軽減できる,ということがはっきり見えてくると思います.
図1 地震と地震動と震災 (石橋,1997). |
3.大地震の実体
大地震が具体的にどんな岩石破壊現象なのか,1995年兵庫県南部地震についてみてみましょう.
1995年1月17日午前5時46分52秒,明石海峡海底直下の深さ15km前後の地底で,ほぼ垂直の狭い面に沿って岩盤が急激にズレる破壊が始まりました.破壊は,強烈な地震波を四方八方へ放出しながら毎秒2〜3kmという猛スピードで面状に拡大し,淡路島の北西岸の地下を南西に約20km,六甲山地の南麓の地下を北東に25〜30km突っ走って止まりました.その間わずか12秒ほどでした.こうして,北東−南西に延びる全長約50km,深さ方向の幅約15kmの破壊面を境にして,大阪湾側の岩盤が南西に動き,播磨灘〜六甲山地側の岩盤が北東に動いて,平均1.5m程度くい違ったのです(図2).
細かくみると,広大な破壊面上で激しくズレたところとそれほどでもないところがあります.淡路島側ではズレ破壊が地表に顔を出し,延長約10kmにわたって田畑や道路や家屋が最大約2.4mくい違いました.地震に伴って地表に出現するこのような線状のズレを「地表地震断層」と呼びます.神戸・阪神側ではズレ破壊の主体は深い部分で,明瞭な地表地震断層は現われませんでした.
実は,地震というのはほとんどすべて,地下の一カ所から始まった岩盤のズレ破壊が面状に拡大して地震波を放出する現象です.生じた地下の破壊面を「震源断層面」,それが広がっている領域を大まかに「震源域」といいます.気象庁から「震源」として発表される場所は破壊の出発点にすぎません(図2参照).
震源断層面の長さと幅,岩盤のズレの量,破壊時間はMとともに増大しますが,気象庁によるMが7.2だった兵庫県南部地震のこれらの量は,M7級の地震としてごく平均的な値でした.Mが8になると,これらの量はそれぞれ,100〜150km,数10km,5〜10m,約1分になり,放出される地震波のエネルギーはM7のときの約30倍に達します.なお,M7.8程度より大きい地震をよく「巨大地震」といいます.
図2 1995年兵庫県南部地震の震源と震源断層面の大まかな位置 (石橋,1997). |
4.大地震を起こすプレートの運動
地球の表面は「プレート」と呼ばれる十数枚の大岩板に覆われていて,それらが互いにゆっくり(年間1〜10cm程度)ですが着実に動いています.その結果,プレート同士の境目やプレート内部の弱面(一種の古傷)に沿って無理な変形(ひずみ)とそれに伴う応力(ストレス,一種の反発力)が蓄積され,それが限界に達すると,弱面のズレ破壊,つまり地震が起こるのです.
プレートの運動とそれによる大地の変形は,地域によってパターンや速さが違いますが,それぞれの場所では最近数十万年間ほぼ一定ですから,同じ弱面で同じタイプの破壊(地震)が繰り返し発生してきました.兵庫県南部地震の震源断層面のズレ方は,淡路島側では島が,神戸側では六甲山地が,それぞれ多少隆起するような縦ズレを伴っていましたが,このような地震が過去何度も発生して島や山地が成長してきたと考えられます.図3に日本列島周辺のプレートを示しておきます.
なお,何十万年もの間に地下の同じ場所で繰り返し大地震が起こって毎回ほぼ同じパターンの地表地震断層が生ずれば,そのズレが累積して「活断層」として認識されます.したがって,活断層の地下では将来も大地震が発生すると予想されます.しかし,震源断層面がやや深くて地表地震断層が生じなかったり,大地震の間隔が長くて地表のズレが侵食されて累積しなかったりすれば,大地震が繰り返すのに活断層が認められないということがありえます.震災以後,「活断層が地震を起こす」とよく言われますが,それは不正確で,活断層が無くても内陸の浅い大地震が起こりうることを忘れてはいけません.
図3 日本付近のプレート.矢印は,オホーツク海プレートに対する他の3プレートの大まかな運動方向(長さは速さに比例)(石橋,1994) |
5.神戸はあと千年大地震に襲われないか?
今後50年くらいを考えれば,神戸がまた激しい地震動に襲われる可能性は高いと言わざるをえません.強震動(強い揺れ)をもたらす大地震が幾つか考えられます.
第一に,近畿地方のどこかでまた浅い大地震が起こるかもしれません.兵庫県南部地震が発生したということは,西南日本の広い範囲で地震エネルギーが高まっていることの現われと考えられますが,エネルギーが解放されたのはあの地震の震源域周辺だけです.むしろ,被災地のまわりに密集している山崎・大阪湾・上町・生駒・花折などの活断層の地下や,活断層として現われていないどこかで,近い将来に大地震が発生する可能性が高まったと考えたほうがよいと思います.5年前の被災地の地盤の悪い所は,場合によっては再び激しい揺れを経験する恐れがあります.
第二は,四国〜紀伊水道のすぐ沖合を震源域とするM8級の巨大地震です.図4に示すように,駿河〜南海トラフという海底の深みに沿う地域では,フィリピン海プレートが西南日本の下に無理矢理沈み込んでいるために,東海地震・南海地震と呼ばれるプレート間巨大地震がペアをなして100〜150年ごとにくり返し発生してきました.最後の昭和南海地震が明らかにやや小型だったので,つぎは早目に大型で起こる可能性が高く,あと20〜30年以内ではないかと心配する研究者もいます.
図5に1854年安政南海地震のときの震度分布を示しますが,もし南海巨大地震が100%の規模で発生すれば,図5とほぼ同様の強震動や大津波が予想されます.つまり,紀伊半島〜四国の太平洋岸を中心に,近畿〜山陽・山陰〜九州までが大揺れに見舞われ,大阪〜神戸も地盤が悪いところでは震度6以上となって,大阪湾にも3m前後の津波が押し寄せるでしょう.
過去何回かの東海・南海巨大地震に先立つ数十年間は,西日本の内陸や日本海沿岸の大地震が活発化するパターンがみられました.この相関はプレートの運動から考えてもありうることなので,上の第一と第二は相互に関連していると思われます.
第三に,紀伊半島の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートの内部で「スラブ内大地震」という種類の地震が起こるかもしれません(「スラブ」とは沈み込んだ海洋プレートのこと).1952年に奈良県中部の下の深さ60kmでM6.8の吉野地震が発生しましたが,それと同様のものです.このときは深さのわりにMが大きくなかったので大災害にはなりませんでしたが,それでも近畿一円で9人の死者を出しました.なお,マスメディアなどでは「地震にはプレート地震と活断層地震の2種類がある」といった単純化がなされますが,表現もよくないですし,スラブ内大地震という第三の重要なタイプを見落としているので問題です.
図4 駿河・南海トラフ沿いの巨大地震の繰り返し.破線は可能性の強いことを示す.数字は発生年.斜体の数字は発生間隔 (石橋,1994). |
図5 1854年安政南海地震による震度と津波(数字,単位はm)の分布 (宇佐美,1996). |
6.南海巨大地震の影響――地震と地震動の多様性
兵庫県南部地震は特別に強烈な大地震で,それによる地震動は異常に激しく,したがって淡路・神戸・阪神間の災害は空前絶後の大震災なのだというイメージがあるように思います.その結果,あの震災で無事だったもの―例えば超高層ビル―は安全だという迷信が生じて,「阪神大震災級にも耐えられる」という文句が耐震安全性のキャッチフレーズになっているようです.
しかし前述のように,兵庫県南部地震はM7クラスの地震としては標準的なものでした.また,神戸の地震動が強烈だったことは確かですが,M7.2という地震の大きさと,震源域の直上という位置関係が本質的制約になって,地震動の周期 (ひと揺れする時間) は1〜2秒より短く (短周期) ,強い地震動の継続時間は10秒足らずでした.この短周期強震動は,木造住宅や中低層ビルのような固有周期 (各構造物固有の揺れやすい周期) の短い (0.3〜1秒程度) 建物にとっては最悪でしたが,固有周期が3〜5秒程度と長い超高層ビルなどには影響しにくいものだったのです.
重要なことは,大地震(=地下の岩石破壊)と,それによる地震動は非常に複雑で多様性があるということです.兵庫県南部地震はその一部を見せたにすぎません.
同じ弦楽器でも小さなバイオリンが高い音(短周期の音波)を出し,大きなコントラバスが低い音(長周期の音波)を出すように,地震も,震源断層面が大きいほど長周期の地震波を強く放出します.しかも破壊時間が長いですから,地震波を放出する時間も長くなります.それがやや離れたところに伝わったり,平野や盆地に到着したりすると,いっそう長周期が強調されて長く揺れます.
したがって,四国沖で南海巨大地震が起こると,大阪平野や神戸の臨海部は,最初の短周期強震動に続いて「やや長周期強震動」と呼ばれる周期2,3〜10数秒で1〜2分続く大揺れに見舞われると予想されます.阪神大震災のときとは非常に違うのです.
超高層ビルは,長く続くやや長周期強震動で「共振」を起こし,ブランコをこぐのと同じように建物の揺れが増大して,設計・施工が悪ければ致命的損傷を受けるかもしれません.そうでなくても,上階の揺れは予想を超えて,設備の破損,家具の転倒・滑動,死傷事故などが生ずる恐れがあります.また,阪神大震災以降,激しい地震の横揺れを建物に伝わりにくくする免震構造が注目され,堅固でない地盤の十数階建て大規模マンションにも使われて人気を集めていますが,これも,建物の固有周期を2〜4秒に延ばす構造ですから,地盤によっては巨大地震の影響を受けやすいと考えられます.やや長周期強震動は,石油タンクや長大橋などにとっても厳しいものです.
要するに,地震動の多様性や息の長い大地震の繰り返し性といった地震現象の特質をよく理解しないで,阪神淡路大震災がすべてだと思っていると,将来また大変なことが起こってしまうかもしれません.
7.おわりに
46億年の地球の歴史からみれば最近といってよい2500〜1500万年前に,アジア大陸の東縁が裂けて日本海が生まれ,大陸の切れ端が東南に漂移して日本列島の現在の骨格ができました.ほぼ同時期に東海〜四国の南方沖に新しく海底が生まれ(伊豆諸島の先祖が東進したらしい),その後フィリピン海プレートの沈み込みが始まりました.
数千万年前から続いている太平洋プレートの沈み込みとともに,これらの大地の運動は大地震と火山噴火を伴いながら,私たちの国土を造ってきました.とくに,人類の時代である過去170万年間の第四紀という地質時代に,現代につながる地震・火山活動が活発になり,急峻な山地と肥沃な平野・盆地が成長しました.六甲山地はその一つであり,兵庫県南部地震は,このような大地の変動の瞬間的な現われだったのです.
つまり日本列島の地震という自然現象は,私たちの暮らしの枠組みの一つにほかなりません.ところが,私たちの文明社会と大自然の間に日常的に存在する矛盾や無理があまりにも大きいと,自然の身震いによってそれが一挙に噴出して,悲惨な複合大災害が起こってしまうのです.
過酷な自然の中で,人間は技術を駆使して快適な生活を確保しようと努力してきました.長年の智恵に支えられた確かな技術は,決して地震に無力なわけではありません.阪神大震災でも,無惨に倒壊した阪神高速道路神戸線のすぐそばで,ある老大工さんが基本に忠実に建てた家はすべて無事だったといいます.地震現象の性質を無視して,自然を力でねじ伏せようとするようなやり方が恐ろしいのだと思います.
「地震対策」は,技術者や行政にまかせておけばよいものではありません.専門家は専門家で最善を尽くさなければなりませんが,市民一人ひとりが,百年を一瞬とするような「地球の時計」の目をもって地震現象を見つめ直し,どういう街づくりや暮らし方が望ましいのかを選択して,「地震と共存する文化」を創ることこそが,本当の「地震対策」だと思います.これは,深刻な環境問題の解決などにもつながる道でしょう.今夜はごく一端しかお話しできませんでしたが,地震学の最新の知見を社会の共通の財産にしていただくきっかけになれば幸いです.
文 献
石橋克彦 (1997):阪神・淡路大震災の教訓 (岩波ブックレットNo.420).岩波書店,63 p.
石橋克彦 (1999):[ 阪神大震災から四年] 地震が生んだ困った「神話」.中央公論,1999年2月号,288-296.
宇佐美龍夫 (1996):新編日本被害地震総覧 [増補改訂版] .東京大学出版会,493 p.