火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:中国・四国

屋島・五剣山


Question #2078
Q 高松市の観光地に屋島がありますが、山の上が台地になっています。すぐ隣に五剣山という山がありまして、その形が地底の力で盛り上がったような形になっています。ともに古い火山ではないかと思われるのですが、瀬戸内火山帯は一千万年以上古い時代のことで、形が残っているとは考えられないとのことです。私は、高松市で育っていますが、以前より、屋島の山上の台地は、火山の活動で、富士山のような山の上が吹き飛んで出来たものと思っていました。学問的にはいかがな事でしょうか。 (01/13/02)

大西  慧:外科医師:59歳

A 屋島の台地ほぼ平坦な山頂が周囲を急崖で囲まれた地形をしており、そのような 地形は「メサ」と呼ばれます。これは堅牢・緻密で平坦な溶岩流が侵食に耐えて 残った地形と考えられています。 屋島の地質を調査すると、高さ約290mの崖の下部はまさ化した部分の多い花 崗岩ですが、その上部80mくらいが緻密な溶岩(これはいわゆる「かんかん石 =サヌカイト」の仲間の安山岩質です)で占められており、さらにその溶岩流の上 面の一部には花崗岩質砂礫層が薄く載っています。 この砂礫層の成因については、昔、佐藤源郎氏が、地形の逆転が生じた証拠と して述べています。つまり、今から1300万年昔に、当時の谷地形の低所に溶岩 流が流れました。溶岩流は地形の凹凸を埋めましたが、上面はほぼ平坦です。 その当時に周囲の花崗岩の山から流出した花崗岩質の砂礫層が溶岩流の上に 堆積しました。その後長い年月で周囲の花崗岩が風化・浸食されていったのに、 溶岩流は堅牢で侵食に耐えたために、現在のような山頂が南北に伸びた上面が 平坦な丘が生じた、というものです。もちろんここで、地形の逆転というのは、 昔の低地を埋めた溶岩流が侵食に耐えて現在の高地になっていることを云います。

屋島の隣の五剣山は、下部から、花崗岩、砂岩、流紋岩質凝灰岩、安山岩質 凝灰角礫岩からできています。八栗寺の裏の五剣をなす峰は安山岩質凝灰 角礫岩の地層からなっていますが、間に薄い凝灰岩層をはさんでいます。 これらは、当時の火山活動で流出した溶岩流が破砕されて二次的に土石流 のようにして堆積したものと考えられます。五剣山の場合も凝灰角礫岩が侵食 に耐えて残った地形です。

この他に高松地域には、飯野山(讃岐富士)、六目山、伽藍山、十瓶山、日山、 白山のような、小さな円錐状の小丘がみられますが、これらはしばしば、昔の マグマの上昇してきた通路であることが判ります。中心の溶岩が硬堅で侵食 に残って円錐状の丘が生じます。

火山爆発で山頂部が吹き飛ばされると、一般に窪地(火口)が生じます。 1980年の北米セントへレンズ山では約3000mの標高の富士山型の火山の 上部が山体崩壊で失われ、後に直径1.5kmの馬蹄形窪地が生じました。 高松地方にはそのようなタイプの爆発火口は残されていないようです。
 (1/15/02)

佐藤博明(神戸大・理学部・火山地質学研究室)


Question #5325
Q 香川県高松市にあります屋島の成り立ちが、1300万年昔の溶岩流による、その後の地形の逆転によりできたものだったとのことでした。先日新聞で、同時期に発生した、大きなクレーターが発見され、その位置での重力が高いとの報道でした。当時のこの地は、瀬戸内火山帯で活動期の火山がたくさんあったものと考えられます。どっちにしても、クレーターのその当時の形は、全く変わってしまっているのでしょうが、今は落下した隕石が表面近くに露出しているのではと考えられます。その分析とかでどんな種類のものと考えられているのですか。その当時の陸地のうえには、どんな生き物がいたと考えられられますか。その隕石の衝突で、その近辺の火山活動がどのように変化するんのでしょうか。
、 (11/27/03)

大西 慧:社会人:60

A 高松クレーターは,高松市仏生山町の法然寺付近を中心とする直径約4kmの円形,深さ1〜2kmの地下の盆地状構造です.厚い堆積物が溜まっているの で,表面の大部分は周囲の平野と同じ高さの平らな土地になっており,飛行機や山の上から眺めても盆地状の地形は判別できません.また,クレーターの範囲 内にはデイサイト質溶岩や流紋岩質凝灰岩の小山が8つほどあります.高松クレーターは,金沢大学の河野芳輝先生らが,詳しい測定によってこの地域の重力 が異常に低い(「高い」は誤りです)ことを見出し,発見したものです.

この盆地状構造の成因については,隕石衝突説と火山カルデラ説が唱えられ,それぞれの説を支持する学者が現在でも口角泡を飛ばして議論していて,まだ決 着しておらず,国際的にもまだ「隕石孔」とは認められていません.仰るように,高松付近は「瀬戸内火山帯」に属し,この火山帯には愛媛県石鎚山や愛知県 設楽盆地などの火山性陥没構造(過去のカルデラ)があります.高松クレーター内部の掘削試料が厚い火砕流堆積物であること,隕石説の証拠となる高圧変成 鉱物が未発見であることなどから,今のところ火山カルデラ説(コールドロン説)の方が優勢のようです.どちらの説にせよ,高松クレーターが形成されたの は第三紀中新世の1400-1300万年前頃と考えられますので,人類はまだ存在しなかったでしょうが,いろいろな哺乳類がいたと思います.もっと詳し く知りたい場合は,次の書籍や論文,講演要旨を参照して下さい.

・河野芳輝編(1996),高松クレーターの謎を探る.四国新聞社.高松,231頁.
・山田涼子・佐藤博明(1998),香川県高松クレーター産ガラスの岩石学的研究.岩鉱,93巻, 8号,279-290頁.
・三浦保範・古賀登(2003),高松−香川地域の隕石衝突構造の研究.日本岩石鉱物鉱床学会2003年学術講演会(仙台)演旨, 50頁.
・三浦保範・中村麻美・古賀登・上原知子(2003)日本におけるFe-Ni含有微粒子について.日本鉱物学会2003年学術講演会(仙台)演旨, 204頁.
・三浦保範・古賀登(2003),高松−香川地域の衝突物質.日本地質学会第110年学術大会(静岡)演旨, 179頁.

 (12/01/03)

石渡 明(金沢大学・理学部・地球学科)