火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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小中学生から多い質問

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:北関東・甲信越地方

浅間山


Question #115
Q 今度、浅間山に塾の高校生を連れて地学のフィールドワークに出掛ける予定です。特に、1783年の大噴火の痕跡をたどりたい と考えております。鬼押出し、溶岩樹形、小浅間山等を中心に回る予定です。これ以外の溶岩流の痕跡をたどれる場所があれば お教えください。また、高校生が学習の参考にできるような書籍・資料等がありましたら、併せてご指導いただければ幸いです。

(8/19/98)

地学に悩まされている英語講師:塾講師:34

A
 浅間山で鬼押出溶岩以外に溶岩流の痕跡をたどれる場所としては,1108年 (天仁元年)の大噴火で流出した上の舞台溶岩,5世紀に流出したと考えられ ている下の舞台溶岩,また1万年前より古い仏岩火山の溶岩(複数)が候補に あげられます.上,下の舞台溶岩はいずれも,浅間山の北東山麓を通る浅間白 根火山ルート沿いにある駐車場から溶岩流の地形が遠望できます.仏岩火山の 溶岩の一部は南東山麓の大窪沢で観察することができます.しかしながらこれ らの溶岩は,地形図や空中写真で見る限り地形的に明瞭なのですが,実際に近 づいてみると,植生や火山灰などに厚く覆われており,溶岩の露出はあまりよ くありません.浅間山では1783年噴火の鬼押出溶岩が他と比べて抜群に露出が よく,「浅間園」や「鬼押出し園」に散策路もありますので,鬼押出溶岩をじ っくり観察されるとよいのではないかと思います.
 最近出版されたフィールドガイド(下記)の中に,1783年の噴火を中心とし た非常にわかりやすい解説がありますので,ご覧になることをおすすめいたし ます.また,浅間山の北方に隣接する草津白根火山まで足をのばされれば,殺 生溶岩などを見ることができます.草津白根火山についても同じ本の中に解説 があります.
 なお,ご質問の文中にありました「溶岩樹型」についてですが,地形図など に出ている「浅間山溶岩樹型」は,1783年噴火の時に流出した火砕流が残した 「吾妻火砕流堆積物」と呼ばれる堆積物中にみられる樹型です.「火砕流樹 型」などと呼ぶべきものなのかもしれませんが,溶岩流にみられる溶岩樹型と 同様のでき方であると考えられています.また「小浅間山」は,仏岩火山の初 期に噴出した溶岩ドームです.その後の噴火活動で降り積もった火山灰や軽石 に厚く覆われていますが,小浅間自体のドム溶岩も小浅間山の頂上付近で観 察することができます.

参考図書 「フィールドガイド/日本の火山(1)関東・甲信越の火山I」,高橋正樹・小林 哲夫編,築地書館  「写真でみる火山の自然史」町田洋・白尾元理著,東京大学出版会
 (きれいなカラー写真が多く,火山の学習に最適の一冊です) (8/27/98)

安井真也(日本大学・文理学部)


Question #215
Q 久しぶりに質問します。 浅間山が一般を対象に入山許可がでるというマスコミの報道がありましたが、 実際にどこまで行けるのでしょうか? 登山するとなれば、どこから登山開始するのがいいでしょうか。 往復に要する時間なども教えてください。 登山しているときに浅間山を観察、観測する上でどういった場所、地点を 注目して登山すればいいでしょうか? また、過去に浅間山が今現在のように、平穏な時期はあったのでしょうか? それは何年?何十年程度持続するものでしょうか? 以上です。よろしくお願いします。

(5/23/99)

火山研究サラリーマン:会社員:40

A A: ご質問が多岐にわたるので全部はお答えできませんが,ここでは,登山規制の 緩和についての情報をお知らせします.

Q:浅間山が一般を対象に入山許可がでるというマスコミの報道がありましたが、 実際にどこまで行けるのでしょうか? A: 5月21日に検討委員会から答申があったのを受けて,小諸市,軽井沢町,御 代田町や佐久地方事務所,地元警察署などで構成する「浅間山火山対策会議」がこれ から具体的な規制緩和策を論議し,結論を出すことになります.従って,まだ何も決 定されてはいませんが,いずれ,当地のマスコミで報道されると思います.
 ただ,「浅間山登山規制調査検討委員会」の出した答申には,釜山の火口縁までの 緩和は盛り込まれていません.答申では,軽井沢登山口についてはこれまで通り,小 浅間山までとし,小諸登山口については,前掛山火口縁までとなっています.

Q:登山するとなれば、どこから登山開始するのがいいでしょうか。 A:おそらく,小諸口の浅間山荘から出発するのが最も易しいルートだろうと思います.

Q:登山しているときに浅間山を観察、観測する上でどういった場所、地点を 注目して登山すればいいでしょうか? A:火山学的な注目点の詳細については,ほかの専門家のアドバイスに譲りますが, ここでは,登山に際しての安全対策について述べます.
 浅間山は最近10年間くらいは静かですが,過去には大変激しい噴火を何回もした ことはおわかりのことと思います.最近では1973年にかなり激しい噴火があり,火砕 流も発生しましたが,この程度の噴火が起きるときは,その前兆をなんとかつかめる のではないかという期待があります.しかし,その後の1982,1983,1990年の噴火で ははっきりした前兆現象がつかめておらず,従ってこの程度の規模の噴火は確実に予 測することは出来ないだろうと思われます.
 このたび,「浅間山火山対策会議」が登山規制の緩和を打ち出し,前掛山までの登 山が許されたとしても,小さい規模の噴火が前触れなしに起きて,登山者が危険にさ らされることが無いとは言えません.すなわち,登山規制を緩和する自治体当局が, はっきりと危険であることを認め,緩和区域に入る登山者はこのことをよく理解し, 「本人の責任において」入山してもらいたいことを述べた立て札を建て,また説明の パンフレットを配布することになっています.
 このような性格の登山規制緩和措置はこれまであまり例が無く,新しい事例だと思 われます.危険が幾分でもあるような状態にも関わらず,一般市民の登山を認める理 由は,無用の規制で登山を全面的に禁ずるよりも,かなりの程度に安全であると思わ れる期間に登山して,火山をよりよく理解してもらうのが適当であろうと言う判断に よるものです.このような規制の方法は,他の先進諸国でもよく見られますが,当事 者(登山者)自身が判断し,結果に対して責任を持って行動するという了解のあるこ とが前提となります.もちろん,小諸市をはじめとする地方自治体は,登山道の整備 や安全施設の強化などは十分行うことが条件であり,また火山活動については気象庁 (軽井沢測候所)が詳しい監視・観測を行い,適時火山情報を発表することになって います.
 登山規制に関する情報については,小諸市(あるいは軽井沢町,御代田町)に直接 照会されるのがよいと思います.登山を計画される前に詳しい情報を入手されること を強くおすすめします.       

荒牧重雄(日本大学・文理学部)

Q:(登山する場合)往復に要する時間なども教えてください。 A:小諸側の浅間山荘あるいは車坂峠から出発して前掛山まで健脚で片道3時間半程 かかると思われます. ただし車坂峠からの場合はアップダウンも激しいので, 時間に余裕をみることが必要だと思います. また十分な登山の装備(防寒,非常食など)や天候の判断も必要です.

Q:登山しているときに浅間山を観察、観測する上でどういった場所、地点を 注目して登山すればいいでしょうか? A:例えば次のような見どころがあります. 1)黒斑山の北東の通称Jバンドのあたりや前掛山から北方を見下ろすと, 天明3年の噴火の時に流下した鬼押出溶岩流がよく見えます. 2)前掛山から黒斑山の方を見ると,黒斑山の火口壁に見事な成層構造が見えます. これは,黒斑山が活動後期に磐梯山のような山体崩壊を起こした跡で, 成層火山の内部構造を観察できます. 3)前掛山から釜山の方を見ると,釜山の斜面に無数の岩塊が散在している様子が見 えます. これらは1983年噴火などの際に放出された火山弾です.
                    安井真也(日本大学・文理学部) (5/25/99)

荒牧重雄・安井真也(日本大学・文理学部)


Question #261
Q こんにちは。私は中学3年の多緒といいます。 先日、小学生のいとこが、浅間山に行ってきてふもとにあった溶岩があつかった、と言っていました。 それは、太陽の熱であったまっただけ、と答えましたが溶岩は他の石よりあたたまりやすいということ はあるのですか。
 それと、私も宿題で浅間山の事を調べようとしたのですが、なかなか見つかりません。 よろしかったら噴火したのはいつだったのか、ということだけでもおしえてください。 あと、インターネット上ではどこにあるのでしょう。
 ばかな質問で申し訳ありませんがよろしくお願いします。 (8/21/99)

15さい。:中学生:15

A 夏休みであちこちの火山を見に行った人も多いようですね.宿題で火山のことを調べ ようとしている人も多いようで,火山に興味を持ってもらうことはとてもうれしいで すね.

まず溶岩は他の石よりあたたまりやすいかについてお答えします. 浅間山のふもとの溶岩と言うと,浅間山の北側に流れた鬼押出し溶岩流のことでしょ うね.新しい溶岩が流れたところでは,森や林が埋め立てられたり,焼かれたりし て,溶岩の上には全く植物がなくなってしまいます.ですから日陰がなく,日光が直 接当たってしまう状態がしばらく続きます.気候にもよりますが,何百年何千年の時 間がたつと,次第に植物が溶岩の上を覆いはじめます.でも鬼押出し溶岩はできてか らまだ220年ほどしかたっていないため,まだ植物に完全に覆われていないのです. そのため日光によくあたって暖められるので,特に暖かく感じるのでしょう.また溶 岩は,いったん暖まるとなかなか冷めにくい性質を持っています.これは熱が伝わる はやさが,溶岩などのケイ素を主成分とする岩石では遅いからです.他の岩石の大部 分もケイ素を主成分としますから,溶岩と大きく違うことはないと思います.火山の 近くのいくつかの観光地では,溶岩が冷えにくいことを利用して,溶岩の板を熱して 肉を焼いたりする料理を名物にしているところもあります.余熱を利用してじっくり と焼くことができるので,おいしく料理することができるのだそうです.

つぎは浅間山についてです. 浅間山は,およそ4万年前くらいから噴火を始めた火山です.まず今の浅間山山頂の 西にある黒斑山が成長したあと,いったん崩れてしまいます.崩れたあとが牙山など の東に開いた馬てい形の火口です.それを埋めるように,仏岩火山,前掛火山が成長 し,今見られるような浅間山の姿を作っています.人間が書いた記録がないのに,4 万年前のことがどうしてわかるのかというと,噴火で吹き上げられた軽石や,崩れた 堆積物,火砕流などの積み重なりを調べることでわかるのです.最近1000年程の人 間の記録がある時代になると,浅間山の噴火の記録はかなり多くなってきます.最も 最近の大きな噴火は,江戸時代の1783年(天明3年)の噴火で,まず軽石の放出では じまり,火砕流,溶岩流が流れ出しました.鬼押出し溶岩流はこの時の噴火で流れ出 した溶岩です.火砕流とそれによる岩屑なだれで,浅間山の北側ふもとの鎌原村で 477人が亡くなったほか,吾妻川に流れ込んで泥流となり,下流で900人ほどの人が 亡くなっています.20世紀になってからも,山頂での噴火を何度もくり返していて, 登山者が何回か犠牲になっています.

浅間山のことをもっとくわしく知りたい場合は,学校の図書室や図書館などで火山の 本をさがしてみて下さい.いくつか本の名前をあげておきます.
 空から見る日本の火山 荒牧・白尾・長岡編 丸善
 写真で見る火山の自然史 町田・白尾著 東大出版会
 フィールドガイド日本の火山(1)関東・甲信越の火山I 高橋・小林編 築地書館 またインターネットでは,群馬大学の早川さんのページを参考にするとよいでしょう. (8/25/99)

川辺禎久(工業技術院・地質調査所・環境地質部・火山地質課)


Question #1045
Q 最近、浅間山の火山性地震が多発しています。しかし、火山性微動は観測されていないといわれていますが、火山性微動が観測されなければ、大規模な噴火は起きないと言う事なのでしょうか。もし、大規模な噴火や地震が起こるとすれば、被害はどの程度であると考えられますか。
そして、最近日本各地で起こっている火山活動と、今回の浅間山の火山性地震との関連はあるのでしょうか。

(09/21/00)

wm:アルバイト:19歳

A
 まず、浅間山の火山性地震と、最近活発な日本各地の火山活動との関連性ですが、 数十年以下の時間スケールで見れば関係はないようです。たまたま活動が活発になっ たのが同じ時期だったのでしょう。


 それから、火山性微動が観測されなければ大規模な噴火がおきないかどうかですが 、これは一概に答えられないと思います。火山性微動と火山性地震の区別は実際には すこしあいまいなところがあって、火山性地震が数秒間隔で起きた場合には火山性微 動と見なされることもあります。火山性微動にしろ火山性地震にしろ火山内部の活動 を示していますから、そのどちらかが、あるいは両方の規模が大きくなりかつ発生の 頻度を高めるようであれば要注意です。特に浅間山を中心として広い範囲で有感地震 や有感微動、鳴動などが頻繁に感じられるようであれば、活動の規模は大きい(自分 にも避難などの必要が出てくるなど)と思って間違いないでしょう。


 これまでの浅間山の活動の歴史をひもときますと、大きな活動としては227年前の 天明三年のものが知られています。天明三年の噴火では熱泥流による北麓の集落の壊 滅、鬼押し出し溶岩流の流出などが記録に残されています(このへんの記録の概略は 丸善から出されている理科年表にも紹介がされています)。このことから考えると、 天明三年の活動と同じぐらいの規模の活動が起きた場合、火口から半径20km以内では 何らかの被害を被るとかんがえてよいでしょう。またそれから離れていても長野新幹 線や上越新幹線、高速自動車道などが降灰によって運休や通行制限などになることは 必至でしょう。


 今回の浅間山の火山性地震がこのような活動につながるものかどうかについては、 私にはなんともお答えのしようがありません。 (9/23/00)


 筒井智樹(秋田大学工学資源学部)


Question #1763
Q 浅間火山観測所の裏手の崖と,西窪開拓道路脇の崖はどのように出来たのですか? (06/16/01)

蛍:中2:14

A 1)東京大学地震研究所浅間火山観測所の裏手の崖について:


 現在この崖に見えているものの大半は,今から200年以上前の江戸時代の大噴火 (天明3年)の時に降り積もった軽石や火山灰です.この崖では,灰白色の軽石や火 山灰の層が何枚も重なり合っていますが,これらの層の下には黒っぽい土の層が見え ていて,ここが噴火前の地表面であったことを示しています.この一帯では降り積も った軽石で2メートル近くも地表面が高くなったのです.この噴火については,当時 の人達が細かく書いて残したので,いつどのように軽石や火山灰が降ってきたかを知 ることができます.噴火は1783年の5月初旬から約3ヶ月続きました.この崖の軽石 や火山灰の層の下半分は主に8月2〜4日の間に降り積もり,上半分は8月4日夜から翌 朝に起きた,とても激しい噴火の時に降ってきました.この時には夕立ちのように激 しく“石”や“小石”が降ったそうです.“焼け石”(おそらく大きな軽石)も降っ てきて,火事が起きたり死傷者が出たので,当時の軽井沢宿の人たちはパニックにな って避難をしました.なお,観測所の構内では,地表をブルドーザーで削ったために 崖に軽石や火山灰が見えていますが,この近くでは,かつてもっと深い穴が掘られた ことがありました.その時には,天明3年の軽石や火山灰の層と同じような層が5メ ートル近くの深さまで出てきたそうです.浅間山が過去にも江戸時代のような大噴火 を繰り返してきたことの証拠です.下記の参考図書Aの「浅間火山」の章の地点1の 説明,Bの「浅間山」の章の本文と写真4.2にも解説があります.

2)西窪開拓の崖について:


 すみませんが,正確な場所がわかりません.地名からすると浅間山の火口から北に 12km位離れた地域と思われます.以下に考えられることを書いてみますので,崖の様 子を思い出してお考えになってみて下さい.
 ■地表から数メートルの間に黒っぽい土砂が見えている場合:同じく天明3年の大 噴火の時,軽石が激しく降ったあとに,北側の山麓にむかって“泥流のようなもの” が流れました.この時の土砂は,西窪開拓の付近にあった当時の集落を埋め立て,さ らに北側の吾妻川に流れ込んで洪水となり,多くの人々が被害を受けました.この時 に地表にたまった土砂は,西窪開拓の辺りでは,主に黒っぽい土砂から成りますが, その中にアメーバのような形をした黄色っぽい火山灰の部分や様々な色の岩塊,焦げ た木の破片などが入っていて,とても複雑です.どのようにしてこの“泥流のような もの”が流れ出したかについては,まだよくわかっておらず,専門家の間で議論が続 いています.
 ■崖に黄色っぽい軽石や火山灰が見えている場合:浅間山は1万年以上前に,天明 3年の大噴火よりもはるかに大きい噴火を繰り返していた時期がありました.1991年 のフィリピンのピナツボ火山の大噴火の時のように,巨大な噴煙の柱が火口の上にた って軽石が降り注いだり,火砕流もたびたび流れたようです.浅間山の北麓一帯で は,この時期に降ってきた,あるいは流れてきた火山灰や軽石が,人間が道路を作る 時などに削った崖や,川が削った崖に顔を見せています.参考図書Aの「浅間火山」 の章の地点6の説明,Bの「浅間山」の章の本文と写真4.6と4.7にも解説があります.

..参考図書...
 A「フィールドガイド/日本の火山(1)関東・甲信越の火山I」,高橋正樹・小林 哲 夫編,築地書館
 B「写真でみる火山の自然史」町田洋・白尾元理著,東京大学出版会
 (06/29/01)

安井真也(日本大学・文理学部・地球システム科学科)


Question #1747
Q 初めて質問します。浅間山ふもとに転がっていた石についてです。軽石のようにとっても軽く驚いてしまいました。でも色は市販の軽石のように白くなく、どちらかといえば黒や赤っぽい色でした。これは火山の噴火の時に出来るものなのでしょうか?火山の噴火といえばドロドロのマグマのイメージが先行しますが。またこの石は空気の穴がたくさんあるのですね。どうしてドロドロマグマがこのような軽い石までできるのか不思議です。こういった石は火山岩と呼ぶのでしょうか?つらつら書きましたが、浅間山で私が拾ってきた石について呼び方や特徴などを是非教えて下さい。出来ましたらメールアドレスまでお返事くださると大変助かります。 (06/07/01)

川口かえる:会社員:28

A
 かえるさんは浅間山で拾ってこられた石について,とてもするどい観察をなさいま したね.特に,たくさんの穴があることに目をつけられましたが,これには大きなヒ ントが隠されています.かえるさんが観察された“空気の穴”は,噴火の時に“ドロ ドロマグマ”の中に溶けこんでいたガス成分(大部分はH2O)がマグマから抜け出し てあぶくを作り,さらにそのガスがあぶくの中から空気中に逃げ出していった跡なの です.ですので,かえるさんの石は軽くて穴だらけだとは思いますが,火山の噴火の 時に出来た,れっきとした火山岩といえます.ドロドロのマグマが川のように流れる 噴火もありますが,あぶくだらけのマグマがばらばらに砕けて勢いよく噴き出す噴火 もあるのです.炭酸飲料の入った瓶の栓を開けた時に,あぶくがいっせいにできて, はじける様子を思い浮かべていただければよいかと思います.
 さて浅間山で拾ってこられた石の呼び名ですが,火山岩を化学的な性質から分けた 場合の呼び名としては,安山岩だと思われます.ふもとのどこで拾ったかにもよりま すが,浅間山の石の大半は安山岩なので,おそらくそうだと思います.
 また,噴火の時にマグマが砕けて固まったものの呼び名もいろいろあります.かえ るさんの石の場合は次のような理由でちょっと難しいです.火山学では,穴が多くて 白いものを“軽石”,黒いものを“スコリア”と呼びます.白いとか黒いとかの色の 違いは,マグマの化学成分の違いとだいたい対応していて,シリカ(二酸化ケイ素) 成分が多いほど白く,少ないほど黒くなります.例えば,有珠山の軽石は市販のそれ のように白いですが,富士山のスコリアはとても黒いです.ところが浅間山のマグマ は,化学成分が有珠山と富士山の中間ぐらいで,浅間山では焦げ茶や薄茶,あるいは ねずみ色の石が見つかります.そのような色の石を何と呼んだらよいか困るわけで す.さらにやっかいなことに,富士山と同じようなマグマが噴き出すハワイでは,黒 っぽいねずみ色のものが軽石と呼ばれています.山全体が真っ黒に近いハワイでは, ねずみ色は白く見えるということでしょうか.このような訳で,白と黒の中間色の時 は呼び方に困ってしまうのです.私自身は浅間山の穴だらけの石を研究しています が,いろんな色の石があるので,どちらかというと黒っぽい時はスコリア,ねずみ色 っぽい白の時は軽石と呼んでいます.なお,赤っぽい石はマグマ中の鉄分が酸化した ものと思われます.鉄錆びのようなものです. (6/12/01)

安井真也(日本大学・文理学部・地球システム科学科)


Question #2345
Q 昨日ニユ−スで言つていましたけど浅間山の活動が活発になつているようですが今後大噴火
を起こす恐れなどは有るのでしようか?ちなみに最近よく話題になつている富士山の噴火や
東海地震との関係は有るのでしようか? (06/23/02)

山本浩三:トラツクドライバ−:36

A 現在観測で得られているような状態が続くのであれば,火山ガスの噴出が続く程度で 終わるのではないかと考えられますが,場合によっては小規模な噴火が起きる可能性 もありますので,気象庁では情報を出し,地元の自治体も登山規制を行っています. 浅間山は20世紀初頭に大きな噴火を繰り返し起こしてきましたが,この100年でしだ いに活動の規模が小さくなってきました.火口底の深さも深くなっています.このこ とは,浅間山のマグマの活動度がしだいに低くなってきたことを示していると思われ ます.したがって,現在の状態では,山麓の居住地区に被害を及ぼすような大噴火を 起こすことはないと考えられます.浅間山の活動はしだいに小さくなってきました が,いずれはまた活発な状態に戻ると考えられており,特に,地下でのマグマの蓄積 や上昇を正確に捉える観測や研究が大切です.詳しくは,地震研究所のホームページ をご覧ください. 浅間 山の最近の活動
 (06/24/02)

鍵山恒臣(東京大学・地震研究所・火山センター) --


Question #2494
Q こんにちは 私は小学4年生です。夏休みに富士山と浅間山に行きました。浅間山の鬼押し出し溶岩は約200年前に出来たそうですが、これから何千年も経つと富士山の樹海のようになるのですか?また富士山と浅間山について調べていますが、溶岩の違いについても教えて下さい。お願いします。 (08/17/02)

響ちゃん:小学生:10歳

A 響ちゃん,こんにちは. 浅間山の鬼押出溶岩は,たしかに何千年もたつと富士山の樹海のようになります.富 士山の樹海で有名な“青木ヶ原溶岩”は,今から1100年ぐらい前の大噴火の時に流れ 出たもので,噴火のすぐ後は黒っぽい溶岩の原っぱみたいになったのでしょう.それ が今ではうっそうとしたジャングルのようになっていますね.浅間山でも,鬼押出よ り前の大噴火(今から900年ぐらい前)の時に流れ出た溶岩は樹海のようになってい ます.日本のような気候では,だいたいどの火山でも,噴火がおさまるとすぐに草木 が生えてきて,時間がたつにつれうっそうとしてきます.植物の力はすごいですね.
 ところで今から220年ほど前に流れ出た鬼押出溶岩には,すでに樹海のようになっ ている場所があります.鬼押出溶岩は,噴火口のある高さ2500m以上(海面からの高 さ)の浅間山のてっぺんから1200mぐらいのところまで流れ下りました.溶岩の上を 歩き回ってみると,浅間園や鬼押出園のある1400mぐらいのところより低い場所で は,けっこうジャングルのようになっているのです.生える草木の種類や数は高さに よって違っていて,あんまり高くなると,草木はほとんど生えなくなります.浅間山 のてっぺんの方を眺めると,草木はほとんど見あたらないですよね?浅間山以外の火 山では、伊豆大島や桜島にも,鬼押出と同じ今から220年ぐらい前に流れ出た溶岩が あります.どちらも溶岩が流れた場所の高さは鬼押出よりずっと低くて,かなり草木 におおわれています.伊豆大島や桜島は浅間山のある高原に比べると気温が高くて雨 も多いので,草木がどんどん成長して,同じ時代の溶岩でも早く樹海になってしまう のでしょう.
 富士山と浅間山の溶岩の違いはいろいろありますが,富士山の溶岩の方がねばり気 が少なくて,浅間山の方がねばっこいのが大きな違いです.富士山の溶岩の方が流れ やすくて,火口から何10kmも流れたことがありますが,浅間山の方は数kmぐらいで す.富士山の溶岩は,厚さが数mほどで,表面がつるんとしていたり,あるいは,い がいがのあるパパイヤぐらいの大きさの石でしきつめられたようになっています.青 木ヶ原溶岩でも足元をよーく見てみると,そういった様子を見ることができます.浅 間山の溶岩の方は,厚さが何10mもある,つぶれたカマボコのような形をしていて (鬼押出は浅間園のところで厚さが60m以上もあります),表面には巨大なサイコロ のような岩がごろごろ転がっています.富士山の溶岩の石の名前は玄武岩(げんぶが ん),浅間山の方は安山岩(あんざんがん)といいます.二種類の石の詳しいことに ついては,この質問コーナーの検索(けんさく)機能などで調べてみて下さいね.
 (08/19/02)

安井真也(日本大学・文理学部・地球システム科学科) --


Question #2519
Q 富士山と浅間山のことで質問した響ちゃんです。この前はありがとうございました。浅間山のことにもっと興味がわいてきたので教えて下さい。湖と洞穴のことを質問します。青木ヶ原には、風穴・氷穴・コウモリ穴のような洞穴がいっぱいありますが浅間山にはないのですか?私は溶岩が富士山よりもドロドロしていて厚くなっていて流れる距離も富士山と比べて短いから洞穴が出来なかったのかなぁと思いました。また浅間山には湖が一つもないのが不思議です。昔はあったのでしょうか?教えてください。 (08/22/02)

ペンネーム響ちゃん:小学生:10歳

A 1)前回(#2494)、富士山の溶岩は浅間山の溶岩より流れやすいという話をしまし た。コウモリ穴のような洞穴は溶岩のトンネルの跡と考えられています。地表に出た 熱い溶岩が空気にふれると、一番上の部分が冷えてカサブタのようになって流れにく くなります。けれども内側はまだ熱くて流れやすいために、下流に抜けていってしま い、筒のような形のトンネルができます。いちどトンネルができると、あとから来た 溶岩もその中を流れます。20年近く噴火を続けているハワイ島のキラウエア火山で は、溶岩トンネルの天井(てんじょう)のところどころに穴があいていて、そこから トンネルの中を川のように流れる溶岩を見ることができます。浅間山では洞穴は見つ かっていません。響ちゃんが考えたように、厚くて流れにくい溶岩にはトンネルはで きにくいようです。 2)浅間山のまわりの湖ですが、1〜2万年前ごろにはありました。軽井沢駅の南側 のあたりはとてもひらたくて、地面の下には、砂や泥に小枝や植物のかけらが混じっ た地層(ちそう)が何枚も重なっています。この地層は湖の底にたまってできたもの です。湿原にたまる泥炭(でいたん)という地層もはさまっています。2万年前頃に は浅間山の一部が壊れてこの地域に流れてきました。その後も噴火のたびに火山灰が 降りつもったり、火砕流(かさいりゅう)が流れてきたこともありました。 流れて きた土砂や降ってきた火山灰が川をふさいで浅い湖ができ、噴火のない時には干上が っていくということを繰り返したようです。
 (8/31/02)

安井真也(日本大学・文理学部・地球システム科学) --