火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:北関東・甲信越地方

赤城山


Question #143
Q 将来的な火山の噴火についての質問です。 鳥取県の伯耆大山は先ごろ大きな岩盤の崩落がおきましたが、こういった現象は火山がその活動を 終え、浸食されていく過程と考えていいですか。 それとも火山の成長過程で活動が一時的に停止しているのでしょうか。 今後”数万年数十万年”というスパン長の中で活動が再開することは考えられるのでしょうか。 同じように、関東の赤城山、北海道の後方羊蹄山なども 同じようなスパン長の中で再噴火することは考えられますか。

(10/15/98)

火山研究サラリーマン:会社員:39

A
 ご質問の大山火山については,少なくとも1万数千年前までは活発な噴火活 動をたびたびしていましたが,近年の火山活動は知られていません.その意味 では,大山では現在浸食されていく過程にあるといえます.しかしながら,火 山の寿命は数十万年以上に及び,その間に数千年から数万年の休止期を挟む場 合があります.ですから,大山火山が火山活動を再開することはありえます.
 また,赤城火山は2-3万年前まで,羊蹄火山は数千年前までの活発な噴火活 動が知られていますので,同様に長期的にみて再噴火の可能性はあると考えて います.ただし,現時点では噴火活動を再開するような兆候はないことを念の ため申し添えます. (11/17/98)

星住英夫(工業技術院・地質調査所・地質部)


Question #217
Q 赤城山の噴出物である鹿沼土は 何で新潟県側の方にはふりつもらなかったのですか? また、何故鹿沼土は繊維状のものやガラス状のもの がみられるのですか? また、鹿沼土に含まれる鉱物を教えてください そして赤城山はどのような火山なのですか 噴火時のマグマの性質や噴火形態を教えてください できるだけ分かりやすく教えてもらえるとうれしいです。 (5/30/99)

疑問:学生:13歳

A (1)赤城山の噴出物が新潟県側の方にないのは 最も簡単いえば,風向きのためです. 鹿沼土はおよそ3万2千年前に赤城火山で発生した爆発的な噴火でもたらされました. 鹿沼降下軽石(鹿沼土の学術的な名称)の厚さの変化,分布,軽石粒の変化をみてみ ますとそのときの噴火(プリニー式噴火といわれる噴火様式)は以下の通りと思いま す. 鹿沼土をもたらした噴火に際しては,噴煙柱とよばれる軽石(鹿沼土),火山灰,火 山ガスからなる高温な噴煙が数10km以上の高さをもって,赤城火山の上空に形成され ました.数10km上空は成層圏と呼ばれていますが,日本列島の上空ではこの高さでは 偏西風と呼ばれる強い風が常時吹いています.このため噴煙柱に含まれる軽石や火山 灰はこの風に運ばれ,西から東に移動します.軽石や火山灰はいずれ重力に従い地上 にふってきます.このようにして鹿沼降下軽石の大半は赤城火山から東方面だけに降 り,新潟などには降ることがなかったのです. なお,このような鹿沼土と同じような軽石は日本で多くのものが知られていますが, そのほとんどのものが偏西風に運ばれたため,給源の火山から東側だけに分布してい ます. (2)鹿沼土に含まれる鉱物 角閃石,斜方輝石,磁鉄鉱,斜長石などが含まれています. (3)赤城山はどのような火山か およそ50万年前くらいから活動をはじめた火山です. 活動のはじめ頃は溶岩流を流すなど比較的おだやかな噴火が主体でしたが,最近15万 年間くらいは軽石や火砕流を噴出させる,爆発的な噴火が卓越しています.ただし最 近では噴火の間隔が長く,3万年前頃に噴火があった以降にはっきりとした噴火の証 拠はありません. 赤城火山は富士山と同様に成層火山と呼ばれるものです.これは何百回もの噴火によ り徐々に大きく成長したものです.富士山ほどきれいな形をしていないのは古くから 活動しているために浸食により火山体に谷が形成されていること,長い活動の間に山 頂付近でカルデラが形成されたこと,おそらく噴火に関連して山体が大きく崩れたな どの歴史をもつからです. (3)噴火時のマグマの性質や噴火形態について 安山岩質とよばれる性質で,日本では最もありふれた性質を持っています. ものすごく単純化すれば,初期の頃は玄武岩に近いもので,後期のものは石英安山岩 質に近いものになっています. この様な性質の変化にともない,初期では,溶岩流流出,ストロンボリ式噴火が多く, 後期になり火砕流や軽石を噴出するプリニー式噴火が多くなりました. (6/5/99)

鈴木毅彦(東京都立大学・大学院理学研究科・地理学教室)


Question #2008
Q 初めまして,私,小学校で教員をしているものですが,この度,学習発表会において,クラスの子が,地層について発表することになりました。栃木県鹿沼市の小学校だけに,子供たちから,鹿沼土はどのようにしてできるのかと質問を受けました。だいたいのことは,分かっているのですが,人前で子供が発表するだけに,しっかりした答えをしたいと思います。申し訳ありませんが,鹿沼土のでき方について,詳しく教えていただけないでしょうか。 (11/12/01)

荒川一志:教員:32

A
 鹿沼土は粒の揃った小型の軽石からできています.軽石粒の大きさが鉢植えなどに 適当な大きさであることから,園芸用として広く利用されています.粒が揃っている ことを分級がよいあるいは淘汰がよいといいます.こうした分級のよい軽石の層は, 軽石が空から降下することによってできるので,降下軽石層とよばれます.鹿沼降下 軽石は3.2万年前に赤城火山の最後の本格的な爆発的噴火によって形成されたもので す.このときの噴火の総噴出量は10km3を越える膨大なもので,現在の赤城火山の山 頂カルデラは,この噴火によって形成されたものと考えられています.噴火時には噴 煙柱がおそらく1万m以上もの空高く噴きあがり(プリニー式噴火といいます),偏西 風に流されて東へとたなびきました.この噴煙から大量の軽石が地表に降下し,距離 にして50kmあまり離れた鹿沼や宇都宮では100cm以上,100km以上離れた水戸でも 40cmもの厚さで堆積しました.当時の赤城火山の東側の北関東地域,鹿沼・宇都宮か ら水戸にかけては,白い軽石によって一面に厚く埋められた不毛の世界となっていた ことになります.この噴火は1991年に起きたフィリピンのピナツボ火山の大噴火に匹 敵する大規模なものでしたが,火砕流の噴出は伴いませんでした.
 (01/11/25)

高橋正樹(日本大学・文理学部・地球システム科学科)


Question #4022
Q 文系人間のものですが、山の景観(特に火山)は大好きで、北海道の火山には大変魅力を感じます。しかし私が住んでいる関東地方にも素晴らしい火山がいっぱい眠っていると知り本当にうれしいです。
本題として、カルデラの定義とは何ですか。 僕の思うところ、榛名山や赤城山もそのような地形を持っているように思うのですが。

 立山や穂高岳がこのような地形だという事を知り大変驚いています。 (06/20/03)

山中 雅晴:学生:28

A
 カルデラとは火山に見られる円形ないし楕円形に近い凹地形です。通常の火口とは 大きさで区別しますが、一般的に直径1-2km以上のものがカルデラです。カルデラに はいくつかの種類があります。カルデラの成因で区分(たとえば、陥没カルデラ、侵 食カルデラ)、カルデラの形で区分(たとえば、馬蹄形カルデラ)する呼び方などが あります。北海道の洞爺湖や屈斜路湖はいずれも日本を代表するカルデラ湖ですが、 このようなカルデラは地下にあった大量のマグマが一気に噴出して天井が落ち込んで できた陥没型のカルデラです。大きいものでは直径が数10kmにもなります。こういう でき方がカルデラの典型的な成因でしょう。2000年、三宅島の噴火で山頂部にできた カルデラは、当初は直径1km程度でしたがその後の崩壊もあって直径約1.6kmになりま したが、これも陥没カルデラですね。ただし、地下にあったマグマは地表に噴出した のではなく、側方に移動したことにより陥没しました。
 さて、関東地方の北部にある榛名山や赤城山についてです。山頂部には確かにカル デラがあります。赤城山のカルデラは山頂部が大規模に崩壊してできた馬蹄形カルデ ラと考えられています。山が崩れてできた馬蹄形カルデラは鳥海山や磐梯山にもあり ますね。榛名山のカルデラは火砕流を噴出したことにより生じた陥没カルデラと考え られています。カルデラができた後にも火山活動は起こりますので、後カルデラ火山 活動と呼ばれますが、カルデラ内に溶岩ドームやスコリア丘など、中央火口丘ができ たりしてカルデラのもともとの形がわかりにくくなったりします。
 北アルプスの立山と穂高岳についてですが、常願寺川の上流部を指す立山カルデラ のことですね。これは、かつては陥没カルデラといわれたことがありますが、最近の 研究では、侵食と崩壊により拡大して大きくなった凹地形だと考えていますので、陥 没カルデラではなくて侵食カルデラですね。私としてはカルデラという名前であまり 呼びたくはないのですが、立山カルデラという名称は地名として一般にも使われてし まっています。穂高岳のことはよくご存知ですね。信州大学の原山さんが書かれた最 新刊「超火山・・・」(山と溪谷社発行)でも読まれたのでしょうか。ここがもとも とはカルデラだったということがわかったのは原山さんのごく最近の研究によりま す。周辺に大規模な火砕流が分布していることはだいぶ前からから知られていました が、穂高岳周辺から噴出したことがわかったのはごく最近のことです。カルデラがで きたのは170-180万年前ということもわかりました。もちろん、現在の槍穂高連峰の 急峻な地形はその後に形成されたもので、当時の地形は現在ではまったく残っていま せん。
 (06/23/03)

中野 俊(産業技術総合研究所・地球科学情報研究部門)