火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:北関東・甲信越地方

榛名山


Question #49
Q 質問事項は2点ありますので、お願いします。 1.群馬県の榛名山は古墳時代に大規模な噴火活動を行い、当時の人々に 大きな被害を与えたとのことですが、、 その当時の噴火の規模はどれくらいだったのでしょうか?たとえば浅間山の天明噴火と 同等レベルだったのでしょうか?教えて下さい。 また、榛名山が再噴火することはあるのでしょうか? 2.年に1度、火山に登山します。今年は霧島山を縦走しました。旧霧島神宮跡から高千穂の お鉢へ行く途中で、赤レンガ色の軽石が、登山道にたくさんありましたが、これらは直接噴火で 降下してきたものか、雨などの流水で溜まったものかどちらでしょうか? また、霧島神宮が噴火で火災を起こし、移転するまでの影響を起こすような噴火は、どういった 規模の噴火だったのでしょうか?

(10/15/97)

火山研究サラリーマン:会社員:38

A 質問1:榛名山は古墳時代に大きな噴火を2回起こしており,古い方から,FA (榛名二ツ岳渋川)の噴火,FP(榛名二ツ岳伊香保)の噴火と呼ばれていま す.これらの噴火によって埋まってしまった古墳時代の遺跡の発見によって, 榛名山は1991年に活火山に指定されました.FA・FPの噴火と浅間天明噴火につ いて,私は詳しく調査したことがないのですが,群馬大の早川さんによると, その規模は彼の提唱した噴火マグニチュード(M)でFAがM=4.9,FPがM=4.8, 浅間天明がM=4.8だそうです(早川,1994).榛名山の直下ではときどき小さ な地震が観測されていますので,今後も噴火する可能性があると考えてよいの ではないでしょうか. 質問2:御鉢の登山道で見られる赤レンガ色の軽石(白色や黄色でない軽石をス コリアと言います)の大部分は,今から750年くらい前の御鉢の噴出物です. 登山道周辺は荒れてしまい,雨などでスコリアが少し移動してしまったりして いますが,もともとは噴火によって空から降ってきて堆積したものです.質問 にある旧霧島神宮跡は高千穂河原にある古宮址のことだと思いますが,実は霧 島神宮の前身はこの古宮址の場所に来る前には高千穂峰と御鉢の間の鞍部にあ ったそうです.その宮は10世紀の噴火で焼失し,12世紀になって古宮址あとに 移されたと伝えられています.その後,この古宮址に建てられた宮も先のスコ リアを噴出した13世紀の噴火によって再び焼失し,15世紀になって現在の地に 移されたそうです.神社を焼失させた13世紀の御鉢の噴火は,霧島火山の有史 時代の噴火では最大のものでした. (10/15/97)

井村隆介(鹿児島大・理)


Question #381
Q 最近ネットで富士山の形成史を見てわいた疑問です.富士山は小御岳,古富士,新富士の3つの火山から形成されているとありますが,何をもって別の火山とするのでしょう?供給源のマグマ溜まりが違うのですか?八ヶ岳や榛名火山はどうなのでしょう?割れ目噴火でたくさんの円頂丘が形成された場合は?(ちなみに,その様な噴火様式は現実にありますか?)何となく思った疑問ですが,教えて下さい. (01/17/00)

一応地質屋:会社員:27

A
 大変本質的で難しい御質問です。専門家が困る素朴ですがよい御質問といえますね 。そんな馬鹿なことがと思うかもしれませんが、実は厳密な意味でのひとつの火山の 定義とは定まっていないのです。現実には漠然とひとつの空間的なまとまりをもった 火山体に対して、ひとつの火山としてある名称を与えるケースが多いようです。給源 のマグマ溜りで分けるなどといったことがわかるほど、マグマ溜りのことについてよ くわかっているわけではないのです。
 富士火山の場合、古富士と新富士は空間的に重複し、時間的にも連続したまとまり のある分布をしていますので、両者を合わせて富士火山とよびます。小御岳火山は中 心が富士火山と比べて北側にずれており、侵食も進んでいて両者の間には時間間隙が 存在しているので、別の火山と認定されています。
 古富士・新富士の違いはあまり明瞭ではありません。最初に新富士・古富士を命名 した津屋弘達氏は、富士火山の北側山腹の一部にみられるやや侵食の進んだ火山体や 、爆発的噴火を繰り返して厚いテフラ層を堆積させたり、山麓にかつて繰り返し火山 泥流を供給した火山体のことを古富士火山とよびました。その上を覆って、現在の山 体の主要部を構成しているのが新富士火山です。新富士火山の方が溶岩流の占める割 合が多く、より静かな噴火活動と考えたようです。しかし、確かによく検討してみる と、漠然としていてあまり厳密な定義ではありません。
 その後、町田 洋氏は富士火山のテフラを詳細に検討し、約5000年前の富士黒土層 を境にして、古期富士火山と新期富士火山に再区分しました。黒土層は噴火が休止し た時期に堆積した一種の土壌です。この時期に活動間隙があると考えて区分したわけ です。津屋氏の区分とは一致しませんが、合理的な区分ではあります。
 新富士火山の形成史を詳細に明かにした宮地直道氏は、大量の溶岩噴出へと噴出様 式が大きく変化する時期を境に新富士と古富士を分けるという津屋氏の区分を、再び 採用しています。噴出様式が大きく変化するという意味では、噴出様式の違いに基づ く新富士、古富士という区分も捨て難いものがあります。
 榛名火山は全体としてひとつの空間的まとまりを示しているので、これをひとつの 火山とよんでもあまり抵抗はないかもしれませんが、八ヶ岳火山は、ひとつの火山と よぶのは躊躇するかもしれません。事実、八ヶ岳は複数の小型〜中型成層火山や溶岩 流、溶岩ドームなどの集合体で、小型成層火山には赤岳火山などといった名称がそれ ぞれつけられています。八ヶ岳の場合は、八ヶ岳火山群とよぶのがふさわしいでしょ う。
 割れ目噴火で沢山の火山体が形成されるケースはもちろんあります。伊豆半島の大 室山や1989年に海底噴火した伊東沖の手石海丘などで有名な東伊豆単成火山群は、小 型の沢山の単成火山からなる群を作っています。この場合、群全体で富士火山のよう なひとつの成層火山体に相当するわけです。東伊豆単成火山群の中で手石海丘を除き 最も新しい噴火活動の産物のひとつである伊雄山ー岩ノ山火山列は、ほぼ同時期に一 連の割れ目から噴出したスコリア丘や溶岩ドームからなっています。しかし、こうし た火山群に対してある固有の名称をつけるにはまだ至っていないようです。
 専門家がドキッとするような大変難しい御質問でしたが、このくらいで御勘弁下さ い。ひとつの火山の定義って、本当にどうしたらよいのでしょう。 (1/17/00)

高橋正樹(茨城大学・理学部・地球生命環境科学)


Question #4022
Q 文系人間のものですが、山の景観(特に火山)は大好きで、北海道の火山には大変魅力を感じます。しかし私が住んでいる関東地方にも素晴らしい火山がいっぱい眠っていると知り本当にうれしいです。
本題として、カルデラの定義とは何ですか。 僕の思うところ、榛名山や赤城山もそのような地形を持っているように思うのですが。

 立山や穂高岳がこのような地形だという事を知り大変驚いています。 (06/20/03)

山中 雅晴:学生:28

A
 カルデラとは火山に見られる円形ないし楕円形に近い凹地形です。通常の火口とは 大きさで区別しますが、一般的に直径1-2km以上のものがカルデラです。カルデラに はいくつかの種類があります。カルデラの成因で区分(たとえば、陥没カルデラ、侵 食カルデラ)、カルデラの形で区分(たとえば、馬蹄形カルデラ)する呼び方などが あります。北海道の洞爺湖や屈斜路湖はいずれも日本を代表するカルデラ湖ですが、 このようなカルデラは地下にあった大量のマグマが一気に噴出して天井が落ち込んで できた陥没型のカルデラです。大きいものでは直径が数10kmにもなります。こういう でき方がカルデラの典型的な成因でしょう。2000年、三宅島の噴火で山頂部にできた カルデラは、当初は直径1km程度でしたがその後の崩壊もあって直径約1.6kmになりま したが、これも陥没カルデラですね。ただし、地下にあったマグマは地表に噴出した のではなく、側方に移動したことにより陥没しました。
 さて、関東地方の北部にある榛名山や赤城山についてです。山頂部には確かにカル デラがあります。赤城山のカルデラは山頂部が大規模に崩壊してできた馬蹄形カルデ ラと考えられています。山が崩れてできた馬蹄形カルデラは鳥海山や磐梯山にもあり ますね。榛名山のカルデラは火砕流を噴出したことにより生じた陥没カルデラと考え られています。カルデラができた後にも火山活動は起こりますので、後カルデラ火山 活動と呼ばれますが、カルデラ内に溶岩ドームやスコリア丘など、中央火口丘ができ たりしてカルデラのもともとの形がわかりにくくなったりします。
 北アルプスの立山と穂高岳についてですが、常願寺川の上流部を指す立山カルデラ のことですね。これは、かつては陥没カルデラといわれたことがありますが、最近の 研究では、侵食と崩壊により拡大して大きくなった凹地形だと考えていますので、陥 没カルデラではなくて侵食カルデラですね。私としてはカルデラという名前であまり 呼びたくはないのですが、立山カルデラという名称は地名として一般にも使われてし まっています。穂高岳のことはよくご存知ですね。信州大学の原山さんが書かれた最 新刊「超火山・・・」(山と溪谷社発行)でも読まれたのでしょうか。ここがもとも とはカルデラだったということがわかったのは原山さんのごく最近の研究によりま す。周辺に大規模な火砕流が分布していることはだいぶ前からから知られていました が、穂高岳周辺から噴出したことがわかったのはごく最近のことです。カルデラがで きたのは170-180万年前ということもわかりました。もちろん、現在の槍穂高連峰の 急峻な地形はその後に形成されたもので、当時の地形は現在ではまったく残っていま せん。
 (06/23/03)

中野 俊(産業技術総合研究所・地球科学情報研究部門)