火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

現在,諸般の事情により質問の受付を停止しております. 再開に向け準備を進めておりますので,いましばらくお待ちください.
トピック項目表示

QA番号順表示

小中学生から多い質問

指定のQ&A番号へ飛ぶ
(半角数字で入力)

「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


VSJ HOME


Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:北関東・甲信越地方

立山・弥陀ヶ原・地獄谷


Question #124
Q 火山学会のページは何回かアクセスしたのですが 火山についてのQ&A集には不覚にも今日初めてでした。それでこのページレベルの高さと真剣さに敬意を表します。何故か、この2ヶ月のうちに磐梯山、鳥海山、渡島大島、立山と立て続けに訪問しその激しい美しさに魅了されています。それで質問ですが、1.鳥海山の中島台を形成した水蒸気爆発どの様なものだったと思われましょうか? 2.渡島大島の寛保の爆発と津波は海面下の北斜面を含む大規模な水蒸気爆発と考えられないか? 3.弥陀ヶ原の展望台から見られるカルデラを作った古弥陀ヶ原火山?(古立山?)の標高は最高時でどれくらいのものであったか? 4.日本海にアメリカプレートとユーララシアプレートの境界があるとされる学説が一般的になっていると思われますがそうすると大西洋の中央海嶺はどこにいったのでしょうか? (9/8/98)

幸村真佐男:この所火山ズいている大学教員。:55

A ●1の回答
 中島台,といいますと東鳥海馬蹄形カルデラ(ながったらしい名前で申し訳 ありませんが,私がつけました)のことですね?このカルデラは山体崩壊でで きたものです.
 では,その山体崩壊の原因はといいますと・・・ それに関しては下記の論文の中の北大の宇井先生の執筆部分が,最新の研究報 告です.おそらく水蒸気爆発が引き金となったと推測はされていますが,その 実体はいまだに明らかになっていません.
 というわけで,「よくわからない」というのが現状のお答えです.すみませ ん.
  文献 Hasenaka, T., Ui, T., Nakamura, Y. and Hayashi, S.(1992)Traverse of Quaternary volcanoes in Northeast Japan.1992 29th IGC Field Trip Guide Book,4,29-74. (9/8/98)(林 信太郎@秋田大学・教育文化学部)

●2の回答
 寛保津波の原因については噴火,地震,斜面崩壊など諸説あり,まだ決着し ておりません.水蒸気爆発の可能性ももちろんあります.決めてとなる物的証 拠を得るため,最近になって,(1)火山灰の同定,分布把握,(2)津波堆 積物から津波規模や遡上過程を推定する試み,(3)海底地形の詳細な調査, が進められています.もしも興味がおありなら,以下の文章をお読みくださ い(入手困難ですのでご連絡ください.nishi@ares.sci.hokudai.ac.jp). 西村裕一,渡島大島1741年噴火と津波−謎の多い大災害−,Oshimanography, 5,印刷中(もうすぐ!). (9/11/98)(西村裕一@北海道大学・有珠火山観測所)

●3の回答
 これまでは,弥陀ヶ原を作る火砕流が噴出して陥没カルデラが形成されたと 考えられていました.1960年代に発表された論文では,カルデラ形成以前の山 体は標高2,800-3,000mに達すると想定していたようです.この論文に基づい て,これまで長いこと,立山火山の形成史がいろいろな本に紹介されてきまし た.
 しかし,最近の研究によると,立山カルデラは陥没カルデラではなく,谷頭 浸食により拡大した浸食カルデラであると考えられるようになりました.今年 オープンした立山カルデラ砂防博物館の展示では,浸食カルデラであると考え ているようです.また,私も現在立山火山を調査中ですが,そのように考えて います.また,カルデラ形成以前,富士山型の単一の成層火山ではなく,い くつかの火山体があったようです.
 現在見られる噴出物の分布から推定すると,火山体の高度は2,800mを越えて いたのは間違いありません.火砕流がどこから噴出したのか,火山の中心はど こにあったのか,カルデラ内を詳しく調査したのですが,それらしき場所はな かなか見つかりません. (9/11/98)(中野 俊@工業技術院・地質調査所・地質部)

●4の回答
 プレート境界の位置を,地球儀のうえでたしかめるとよくわかります.アメ リカプレートとユーラシアプレートの境界を,大西洋中央海嶺から順に追って いってみてください.東シベリアを経由して日本海につながっています.いか がでしょう? (9/8/98)(林 信太郎@秋田大学・教育文化学部)

できたら質問は一回につき一つで---ホームページ管理者


Question #2454
Q 今度、立山カルデラの体験学習会に参加する予定の地学の素人教師なのですが、この貴重な機会を使って体験学習以外にぜひ貴重な資料があれば記録に残したり採集して帰りたい(特に岩石類)と思っています。何かありましたら教えてください。また、それが(漠然としすぎて)困難である場合は事前に呼んで置いたらいいような本、資料があれば教えてください。 (07/31/02)

青葉マーク1号:教員:40

A
 「立山カルデラの体験学習会」ですか.いい天気に恵まれることを祈ります.実 は,昨年金沢で開催された日本地質学会の見学旅行に「立山カルデラ―新湯・砂防と 跡津川断層」コースがありました.この見学旅行は幸い好天に恵まれ,地形,地質, 鉱物,断層など様々な見どころを予定通り廻って大成功でした.やや専門的になりま すが,そのコースの見学旅行案内書(赤羽久忠ほか著)があります.しかし,これは 同学会の他の10コースの見学旅行案内書と合冊になっていて,分売はできません. 合冊は若干残部があり,一般の方には\3,000でお分けしています.必要な場合は石渡 まで連絡して下さい.


 その他に,次のような最近の書籍が参考になると思います. 「北陸の自然をたずねて」同書編集委員会編,築地書館,2001年,\1,800+税,立山 コースの詳しい解説とコラム記事があります. 「大地の記憶,富山の自然史」藤井昭二著,桂書房,2000年,\2,000+税.火山や氷 河地形について20頁にわたり解説. 「火山・立山大噴火」富山県「立山博物館」編・発行,1999年.直接博物館に問い合 わせて下さい.Tel.076-481-1216. 「1/10万富山県地質図・同解説書」藤井昭二ほか編図,富山県,1992年.\4,800程度 「1/20万地質図 高山」産業技術総合研究所.1988年,\2,200.
 地質図は内外地図(東京)や関西地図(大阪)などで取り扱っています.


 なお,立山は国立公園ですので,岩石や動植物の採取は原則として禁止されてお り,例え学術目的の採取でも事前に管理事務所の許可が必要です.道に落ちている小 石を記念に拾ってくる程度なら問題ないと思いますが,露岩を破壊する行為は禁止さ れています.立山は特に監視が厳しいのでご注意下さい.それから,立山カルデラ内 は地盤が悪くて非常に危険なため,一般人の入山は禁止されています.今回は学習会 の実施機関が事前に管理者の許可をとっていることと思いますが,必ずヘルメットを 着用し身の安全に十分注意して体験学習を行って下さい.

体験学習会が無事に成功し,大きな成果を得られるよう期待します.
 (7/31/02)

石渡 明(金沢大学・理学部・地球学科)  --


Question #2478
Q 先日、立山カルデラの質問をしたものです。体験学習会の日は快晴で非常に有意義でした。ところで私は関西に住んでいて六甲山によくいくのですが。六甲花崗岩は浸食を受けると岩石に含まれる鉄が酸化して溶け出して茶色っぽくなるように思うのですが。立山の花崗岩は緑っぽい色に変色しているような気がします。これはどうしてなのでしょうか…。 (08/12/02)

青葉マーク1号:教員:40

A
 体験学習会は天候に恵まれ,有意義だったそうで,よかったですね.立山カルデラ 内に露出する花崗岩は,地質図によるとジュラ紀の船津花崗岩類で,一部は変成作用 や変形作用(マイロナイト化)を受けています.緑っぽい色はおそらく緑簾石(りょ くれんせき:鉄・カルシウム・アルミニウムに富む珪酸塩)の色で,変成作用を受け た花崗岩中に散在していたり,石英と一緒に幅数cm程度の緑色の脈として花崗岩を 貫いたりしています.飛騨山地一帯に広く分布する船津花崗岩類には,緑簾石がごく 普通に含まれており,露頭で黄緑〜緑色を呈するものも多いです.
 六甲山の花崗岩は白亜紀末期のもので,船津花崗岩類より1億年程度新しい時代の ものです.そのためか変成作用はほとんど受けておらず,緑簾石もあまり見られませ んが,仰るように「深層風化」が進んでいて,地表付近のものはほとんど真砂(マ サ)化しています.これが原因で,兵庫県南部地震の時は六甲山の山腹に多数の斜面 崩壊が生じました.私は昨晩ある会合に招待され,六甲山の山頂でバイキングを食べ てきましたが,あの曲がりくねった道路や急斜面に立つレストランの下に深層風化し た花崗岩があると思うと,ちょっと心配でした.その時ご一緒した神戸大学の先生 は,「学生を六甲山に連れて行っても,新鮮な花崗岩を見せることができないので残 念だ」と仰っていました.
 (08/12/02)

石渡 明(金沢大学・理学部・地球学科) --


Question #2517
Q 以前立山黒部アルペンルートを通った時、地獄谷と呼ばれる所に行きました。硫黄や熱気が噴出する場所を多数見ることが出来たのですが、このような場所は火山活動でこのような現象が起きるのか、それとも火山活動がなくても起こるのでしょうか?

 

 真近に見て、もしこの下にマグマが来ていたら怖いと思いました。素人の質問ですけども、よろしくお願いします。 (08/21/02)

シゲ:会社員:29

A
 立山室堂の地獄谷は、火山活動が盛んだった場所です。アルペンルートを室堂まで 登ってくる緩斜面は、火山活動で噴出された噴出物が作った平坦面ですし、称名滝も この平坦な地形を削ってできている滝です。また、室堂より南の五色ヶ原も火山で す。しかし、侵食によって削られてしまい、どこに古い火口があったのかははっきり しません。このあたり(室堂や五色ヶ原)では、だいたい20万年前から火山活動が始 まりましたが、その最新の活動が地獄谷周辺で起こっているのです。ミクリガ池やミ ドリガ池も火口の跡ですし、もちろん地獄谷そのものもいくつかの火口が集まった谷 です。このあたりには大小たくさんの爆裂火口があります。古文書を調べると地獄谷 での最後の噴火は1836年に起こっていることがわかりましたが、地獄谷のどのあたり で起こったのかはよくわかりません。昭和になってからも、小規模の噴火らしきもの が起こったらしい目撃談があるというのですが、記録がはっきりしません。現在は、 マグマがすぐ近くにあるということはないでしょうが、規模の小さな噴火であれば、 地獄谷での噴火はまたいつ起きてもおかしくないと思います。また、噴火でなくて も、ガス中毒で死者もでています。
 この火山を立山火山といいますが、もう少し詳しいことは以下のホームページでご 覧いただけます。 http://staff.aist.go.jp/nakano.shun/Jap/Tateyama/tateyama.html
 (08/26/02)

中野 俊(産業技術総合研究所・地球科学情報研究部門・火山複合システム研究グル ープ)


Question #4022
Q 文系人間のものですが、山の景観(特に火山)は大好きで、北海道の火山には大変魅力を感じます。しかし私が住んでいる関東地方にも素晴らしい火山がいっぱい眠っていると知り本当にうれしいです。
本題として、カルデラの定義とは何ですか。 僕の思うところ、榛名山や赤城山もそのような地形を持っているように思うのですが。

 立山や穂高岳がこのような地形だという事を知り大変驚いています。 (06/20/03)

山中 雅晴:学生:28

A
 カルデラとは火山に見られる円形ないし楕円形に近い凹地形です。通常の火口とは 大きさで区別しますが、一般的に直径1-2km以上のものがカルデラです。カルデラに はいくつかの種類があります。カルデラの成因で区分(たとえば、陥没カルデラ、侵 食カルデラ)、カルデラの形で区分(たとえば、馬蹄形カルデラ)する呼び方などが あります。北海道の洞爺湖や屈斜路湖はいずれも日本を代表するカルデラ湖ですが、 このようなカルデラは地下にあった大量のマグマが一気に噴出して天井が落ち込んで できた陥没型のカルデラです。大きいものでは直径が数10kmにもなります。こういう でき方がカルデラの典型的な成因でしょう。2000年、三宅島の噴火で山頂部にできた カルデラは、当初は直径1km程度でしたがその後の崩壊もあって直径約1.6kmになりま したが、これも陥没カルデラですね。ただし、地下にあったマグマは地表に噴出した のではなく、側方に移動したことにより陥没しました。
 さて、関東地方の北部にある榛名山や赤城山についてです。山頂部には確かにカル デラがあります。赤城山のカルデラは山頂部が大規模に崩壊してできた馬蹄形カルデ ラと考えられています。山が崩れてできた馬蹄形カルデラは鳥海山や磐梯山にもあり ますね。榛名山のカルデラは火砕流を噴出したことにより生じた陥没カルデラと考え られています。カルデラができた後にも火山活動は起こりますので、後カルデラ火山 活動と呼ばれますが、カルデラ内に溶岩ドームやスコリア丘など、中央火口丘ができ たりしてカルデラのもともとの形がわかりにくくなったりします。
 北アルプスの立山と穂高岳についてですが、常願寺川の上流部を指す立山カルデラ のことですね。これは、かつては陥没カルデラといわれたことがありますが、最近の 研究では、侵食と崩壊により拡大して大きくなった凹地形だと考えていますので、陥 没カルデラではなくて侵食カルデラですね。私としてはカルデラという名前であまり 呼びたくはないのですが、立山カルデラという名称は地名として一般にも使われてし まっています。穂高岳のことはよくご存知ですね。信州大学の原山さんが書かれた最 新刊「超火山・・・」(山と溪谷社発行)でも読まれたのでしょうか。ここがもとも とはカルデラだったということがわかったのは原山さんのごく最近の研究によりま す。周辺に大規模な火砕流が分布していることはだいぶ前からから知られていました が、穂高岳周辺から噴出したことがわかったのはごく最近のことです。カルデラがで きたのは170-180万年前ということもわかりました。もちろん、現在の槍穂高連峰の 急峻な地形はその後に形成されたもので、当時の地形は現在ではまったく残っていま せん。
 (06/23/03)

中野 俊(産業技術総合研究所・地球科学情報研究部門)