焼岳の天正噴火の記録は,明治末の論文(加藤,1912)に記録されたのが最初です.
これには,噴火と崩壊により山麓の中尾平が形成されたとの言い伝えが記されていま
す.
その他の文献では,中尾峠が崩れたなどの記録も見られますがどうやら加藤(1912)
のうつし間違いのようです.
この天正噴火の記録は,文書記録などは無く山麓の中尾集落での言い伝えで伝説めい
ています.そのため歴史資料としては信憑性に欠け,噴火記録としては問題がありま
す.また,中尾平を形成している地層は2300年前の中尾火砕流ですので言い伝えと地
質情報が一致しません.
しかし,焼岳山体極近傍には西暦1200〜1700年代の年代を示す水蒸気噴火の火山灰が
数多く見られます.そのため,西暦1200〜1700年代に水蒸気噴火が頻発した事は確か
です.
ただし,それらの火山灰が天正12ないし13年(1584ないし1585年)の記録に相当する
かはわかりません.
おそらく,焼岳の天正噴火の言い伝えは,飛騨地方を襲った天正地震の災害と,
1200〜1700年代の噴火がごっちゃになって言い伝えられたものでしょう.
(09/05/02)
及川 輝樹(信州大学・工学系大学院)
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