火山学者に聞いてみよう -トピック編-  

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「Q&A火山噴火」 に寄せられた意見集


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Jan. 2012.

The Volcanological Society
of Japan.

kazan-gakkai@kazan.or.jp

身近の火山:伊豆・伊豆諸島・小笠原

箱根火山・神山・芦ノ湖・二子山・駒ヶ岳


Question #146
Q 先日、学校の修学旅行で箱根へ行ったのですが、箱根の山の多さに驚きました。 そこで質問なのですが、箱根の山々はどのようにしてできたのでしょうか?ぜひ、教えてください。お願いします。 (10/16/98)

浅岡良彦:高校生:16

A
 箱根の山が,同じ火山であるのにもかかわらず隣の富士山のような単一 の峰ではなく,たくさんの峰によってできていることに驚かれたのですね. このことは,箱根山のでき方(火山としての箱根山がたどった歴史)と深 くかかわっています.


 まず,富士山は今見えている形の大部分が過去1万年間に作られたもの であるのに対し,箱根山は50万年もの長きにわたる噴火の歴史,つまり は,より複雑な火山形成のプロセスを経てきているのです.


 さらに,箱根山は富士山よりもずっと大規模かつ爆発的な噴火を何度も おこし,大きなカルデラを少なくとも2度作っています.このカルデラは 今でも地形としてはっきり残っており,カルデラの中には,その後たくさ んの小型の火山(中央火口丘群)が誕生しました.駒ヶ岳や神山・二子山 がそれらの仲間です.カルデラの底の一部には水が溜まって芦ノ湖ができ ました.


 以上はごくおおざっぱな説明ですが,より細かな火山形成史が火山学者 の努力によって判明しています.もっと詳しいことが知りたければ,以下 の文献が参考になります.

中村一明ほか著「火山と地震の国」岩波書店 高橋正樹・小林哲夫編「フィールドガイド日本の火山(2)関東・甲信 越の火山II」築地書館

町田 洋著「火山灰は語る」蒼樹書房 (10/20/98)

小山真人(静岡大学・教育学部)


Question #198
Q
 東大病院の院内学級に勤務している者です。お忙しいところ申し訳ありません。
 よろしくお願いします。
 
 理科の授業で関東ローム層を教えている時に次のような質問がありました。


 (1)「富士山はいつ頃噴火したの?」
 (2)「どうやったら噴火した時期が分かるの?」


 ぼく自身地学が専門ではないため、(1)についてきちんと答えてあげることができませんでした。 また、(2)についても「地層を関東ローム層と、上下の地層の年代を比べて年代を調べたんだよ」と しか答えられませんでした。いろいろ調べたのですがよく分からなかったので、質問したいのですが、 次のことについて教えていただけるでしょうか?
  1;関東ローム層は、富士山の火山灰が噴火してつもった地層という事で良いですよね。 2;富士山は何年前〜何年前ぐらいに噴火したのでしょうか?年代はいつ頃でしょうか? 3;関東ローム層の上下の地層は何年前〜何年前つもったのでしょうか?上下の地層が積もったとき 関東はどの様な様子だったのでしょうか?


 簡単な質問で恥ずかしいのですか、よろしくお願いします。 (3/6/99)

土屋忠之(都立北養護学校 東大こだま分教室勤務):教員:30

A (1)
 より厳密には,「関東ローム層は,富士山,箱根山,浅間山などの,おもに関東 平野西方に位置する火山の噴火によって地表にもたらされた火山灰が,大気中を運 ばれて降り積もった地層」です.火山灰の大気中での移動方法としては,噴火時の 噴煙によって直接運搬されることもあれば,噴火休止期に火山山麓の荒れ地や河川 敷などから強風によって少しずつ運ばれることもあります.前者の運搬方法を主と みるか,後者を主とみるかで,まだ学者間に議論があります. (2)
 富士山は,およそ10万年ほど前から噴火を始め(かつて8万年前とよく言われま したが,最近の年代測定研究の進歩によって若干遡っています),歴史時代にもた びたび噴火を起こしている活火山です.最近では1707年(宝永四年)に大規模な噴 火を起こしています.なお,1707年以後もまったく静かであった保証はなく,1708 〜09年,1770年,1854年にも小規模な噴火を起こした疑いがあり,現在研究が進め られています.
 富士山の歴史時代の火山活動については,以下のページが参考になるでしょう. http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/0index.html (3)
 関東ローム層の最下部をしめる地層は,およそ40〜50万年前の堆積物です.そし て,関東ローム層の最上部(つまり現在の地表面)には,いまでも少しずつ堆積物 が堆積し続けています.風の強い日に荒れ地や河川敷・畑などから砂ぼこりが大量 に舞い上がり,それがわずかずつ地面をかさ上げしているのです(あるいは,上述 した富士山の1707年噴火の際に関東平野に灰が降り積もったことからわかるように, 火山噴火による降灰でかさ上げされることもあります).縄文・弥生時代や歴史時 代の遺跡が土中に埋もれているのはそのためです.
 関東ローム層は乾いた陸上(湖や川や湿地帯ではないという意味です)で堆積し た地層です.つまり,関東ローム層がつもった場所はいまの武蔵野台地のような台 地の上です.しかし,関東平野全体に関東ローム層が分布しているわけではありま せん.たとえば,千葉県の北部には低い丘陵地帯が広がっていますが,そこには40 〜50万年前の海でたまった砂や泥が分布しています.つまり,関東ローム層が堆積 し始めた頃には,いまの東京湾から九十九里浜にかけて洋々とした海原が広がって いたのです. (3/10/99)

小山真人(静岡大学・教育学部・総合科学)


Question #292
Q 箱根についての質問です。先日、学校の旅行へ箱根へ行き、箱根が大きなカルデラであることを知りました。現在のようになるまでに、いろいろと噴火を繰り返したそうなのですが、それがいつ頃、どれくらいのものだったのかを知りたいです。あと、芦ノ湖スカイラインの三国山のあたりに、「命の泉」という涌き水があるところがあったのですが、なぜその様な高所に湧き水ができたのかもよければ教えてください。 (10/19/99)

KEI:高校生:15

A 箱根火山の噴火の歴史について
 箱根火山が噴火を始めたのは約50万年前ごろからとされています。そのころは 玄武岩質〜安山岩質のマグマが伊豆大島の1986年の噴火(ストロンボリ式噴火や サブ・プリニー式噴火と呼ばれるタイプ)や桜島でしばしば起こるような爆発 (ブルカノ式噴火)のような噴火をくりかえし、溶岩流やスコリア(穴のたくさ んあいた黒い火山れき)、火山灰の積み重なりからなる富士山に似た成層火山を つくっていたと考えられています。しかし、おおきな一つの火山というよりは、 金時山や明神ヶ岳などのやや小さい成層火山がいくつか集まった火山群であった ようです。スコリア丘(ストロンボリ式噴火でできた小さな丘)や溶岩ドームの 小さな火山もあちこちに沢山つくられました。 噴火のイメージとしては伊豆大島の1986年の噴火(ストロンボリ式噴火やサブ・ プリニー式噴火と呼ばれるタイプ)、桜島でしばしば起こるような爆発(ブルカ ノ式噴火)が挙げられると思います。 
 25万年くらい前になると、デイサイト(石英安山岩)質〜流紋岩質のマグマが 大規模で爆発的な噴火をおこなうようになりました。フィリピンのピナツボ火山 の1991年の噴火のように、噴出した軽石(穴のたくさんあいた白い火山れき)や 火山灰は雨のように降り積もったり(プリニー式噴火と呼ばれるタイプ)、大規 模な火砕流となって流れ下って裾野一帯を埋め尽くしたりしました。そのような 破局的な噴火が火山体の中央部で何回かおこなわれたために、地下の火道周辺の 岩盤やそれまでに出来ていた火山体は大きく破壊され、上に向かって開いた大き な窪地(カルデラ)が出来たとされています。火山体の破壊され残ったところが 古期外輪山と呼ばれる環状の山稜となりました。また、この時期にもカルデラの 外の古期外輪山の御殿場市側と真鶴町側の地域では玄武岩質〜デイサイト質マグ マの小規模な噴火が何回もおこっていて、スコリア丘や溶岩ドームの小さな火山 が沢山つくられています。
 15万年くらい前から8万年くらい前までの間も軽石や火山灰を吹き上げるよう な噴火が続きましたが、カルデラを広げるような大きな噴火は下火になりまし た。また溶岩流も流出するようになり、カルデラの中は屏風山や鷹ノ巣山などの あたらしい火山体(新期外輪山と呼ばれます)で埋め立てられてしまいました。
 8万年前から5万年前までの間にデイサイト質〜流紋岩質のマグマが大規模な爆 発的な噴火を数回おこない、新期外輪山の西部を破壊しふたたびカルデラを形成 しました。5万年前の大噴火の堆積物は良く調べられており、南関東一帯に軽石 が降り積もり(東京軽石層と呼ばれています)、火砕流は四方に流れ、60km以上 はなれた横浜市にまで達したことが知られています。
 5万年前よりあとは安山岩質のマグマが噴出しカルデラ内に神山や駒ヶ岳、双 子山など溶岩流や溶岩ドームをたくさんつくりました(中央火口丘と呼ばれてい ます)。これらの溶岩が噴出する際、溶岩表面の岩塊が崩落してしばしば火砕流 が発生しました。
 最後の溶岩の噴出は約3千年前とされています。このときはまず磐梯山の1888 年の噴火のように、神山の不安定な急斜面が大きく崩れ(水蒸気爆発がひきがね になったのではないかといわれています)、山崩れの堆積物は川をせき止め芦ノ 湖をつくりました。その後間をおいて(200年ぐらい)、崩壊でできた馬蹄形の 窪地のなかに、雲仙火山の1990年〜1995年の活動のように火砕流を発生しながら 溶岩ドームが成長して現在の冠ヶ岳をつくりました。
 3千年前以降は、水蒸気爆発のような小規模な噴火のおきた可能性はあると考 えられますが、具体的な噴出物はしられていません。歴史時代に噴火の記録もな いようです。しかし現在も大涌谷などで激しくガスが噴出している姿をみると、 エネルギーを秘めた油断のならない火山であることが感じられるでしょう。
 以上のような箱根火山の噴火の歴史は箱根での地質調査だけでなく、周辺、特 に風下に位置する大磯丘陵に降った火山灰の積み重なりの調査研究によって明ら かにされてきました。しかしなぜ噴火のしかたが複雑な変化をたどったのかはま だ分かっていません。

「命の泉」について 「命の泉」は私も調査で訪れたことがありますが、芦ノ湖スカイライン沿い、古 期外輪山の峯の一つである三国山の山頂から南南西へ300m程はなれたところにあ ります。ここでは風化した火山灰の層の上を安山岩質の溶岩流が覆っているのが 観察されます。火山灰の層の上部は溶岩流が覆ったときに熱で焼かれて赤くなっ ています。泉の水は溶岩と火山灰の境目から湧き出ているようです。風化した火 山灰層は粘土になっているので水を通しにくく、不透水層となっているのに対 し、溶岩のほうは割れ目がたくさんできているので水の通り道になっているので しょう。この境目は西に10〜15°位の角度で傾いています。おそらく三国山山頂 付近に降った雨水が地下ふかくまで浸み込む途中で不透水層に行き先をはばま れ、不透水層の上面にそって西へ向かって流れて涌き出したと考えられます。こ の泉に雨水を集める範囲は大きく見積もってもせいぜい400m四方ぐらいしかあり ませんが、それだけ箱根の高所は雨が多いということではないでしょうか。 (10/30/99)

長井雅史(東京大学・地震研究所)


Question #625
Q 箱根の駒ヶ岳は「溶岩円頂丘」となってますが山頂に火口があって地形図を見るとオタマジャクシ型の溶岩流を沢山流しています。円頂丘と言うと普賢岳の平成新山のように火口に栓をしてしまうものと思われますが実際には山頂に火口を持ちそこから溶岩を流している例も少なくないように思われます(日光白根の山頂溶岩や九重山など)。単純にこれについて考えるて考えるとまず粘性の強い溶岩が大量に吹き出してドームをつくりその後溶岩の粘性が低下してドームの屋根を破って溶岩流となった、と言うことが考えられるとおもいますが実際この様なことが起きているのでしょうか。

 また久住の三保山は溶岩円頂丘でありながら二重式の構造に見えます。これはどうやって出来ているのでしょうか (05/22/00)

アマンタジン:医師:25

A
 溶岩円頂丘(溶岩ドーム)と呼ばれている火山がじつは何個かの溶岩ドームがつみ 重なっているものだったり、山頂部だけが溶岩ドームで下の部分は違うタイプの火山 体だったりすることがあります。箱根火山の駒ヶ岳は3〜2万年前頃に厚い溶岩流や 溶岩ドームをつくる噴火を数回くり返して形成されたと考えられています。山頂部分 のみが溶岩ドームで、最後の噴火の時に火口を塞いで成長したものです。
 アマンタジンさんが駒ヶ岳で火口と思われたのは山頂部の細長い浅いくぼみのこと だと思いますが、火口にしては形は不明瞭で、ここから噴出物が出た証拠もありませ ん。溶岩の流れによる溶岩じわか、活動の終わりにマグマの一部が地下へ逆流したた めに溶岩ドームの表面が落ち込んでできたくぼみと考えられます。久住の三保山の場 合では一度マグマが逆流してくぼみを作り、再びマグマが上昇してきて中央の溶岩ド ームを作ったと考えられています。
 もちろん御指摘のように一度の活動の途中で溶岩の粘性が変化する可能性は十分あ ります。もともと粘性が違うマグマが上がってくる場合だけでなく、地上に噴出する ときのガス成分の抜け方や冷却のしかたなども影響します。また土台となる地形にも 左右され、粘性が同じでも斜面では重力の効果で流れやすくなります。 (6/03/00)

長井雅史(東京大学・地震研究所)


Question #2644
Q こんにちは、
2001年6月に箱根山において山体膨張を伴う地震がありましたが、その後の箱根山の活動はどうなっているのでしょうか?いざ本格的な噴火が起きたときには首都圏に与える影響は富士山より大きいと思われ、かなり心配しています。
また山体の膨張には、やはりマグマ活動が直接関係しているのでしょうか?それとも直接マグマが関与せずとも山体が膨張することがあるのでしょうか?

PS、安田 敦先生、ホットスポットに関する質問に丁寧なお答えを頂き、ありがとうございます。地球のダイナミックな活動に非常に驚くとともに深く感動しています。 (09/12/02)

しろしろ:フリーター:24歳

A 箱根火山は2001年の6月はじめごろから地震が目立ちはじめ,多数の有感地震を伴う 規模の大きな群発地震となりましたが,地震回数は7月はじめを頂点 に指数関数的に 減少して,年内にはほぼ普通のレベルに戻りました.その後も群発地震は発生してい るのですが,それらの規模は大きくありません.箱根火山 はもともと群発地震がし ばしば観測されるところなので,現時点では異常があるとは考えていません.

2001年6月の群発地震は箱根カルデラの中で地震の連続観測が始まった1960年以降で はもっとも規模の大きい群発地震でした.ただ,1960年より 前には 1917,20,43,44,52,59-60年に大量の有感地震を伴う群発地震の記録があり,有感地震 の回数や感じた範囲を比べると,2001 年の群発地震の規模はこれらに比べて相当小 さいと考えられています.

さて,今回の群発地震がマグマの活動に関係するかどうかですが,これに関しては現 在も検討中で結論はまだ出ていません.地殻変動は,水などマグマ以外の 流体が移 動することによっても起こりうると思います.たとえば,長野県の松代市では1965年 から67年にかけて,大規模な群発地震と地殻変動を観測し ましたが,マグマではな く水が大量に「噴出」してその後急速に沈静化しました.松代群発地震の発生域は昔 火山だった所なのですが,群発地震と地殻変動の 犯人は「水」だったと考えられま す.箱根は大涌谷の噴気でもわかるとおり熱水の循環系が発達していると考えらま す.ですから,火山の地殻変動だからと いってマグマ活動に結びつけて考えるわけ には行かないと思うのです.

また,箱根火山は北伊豆断層系(有名な丹那断層はその一部)という伊豆半島から南 北に延びる断層によって真ん中を切られていると考えられています.個人 的には, 箱根火山の地震や地殻変動は,マグマや熱水の活動としてだけでなく,断層活動とし ての側面を持っていると考えています.

なお,箱根火山の噴火活動は最近3-4万年間の噴火を見る限り,溶岩ドームの成長と その崩壊による火砕流の発生といった雲仙火普賢岳噴火(1990- 95)と似たようなパ ターンの活動が主流です.従って,東京や横浜などに火山灰が降るなどの直接的な被 害が及ぶ可能性は非常に低いと考えています.
 (09/16/02)

萬年一剛(神奈川県温泉地学研究所) --


Question #5347
Q 富士、箱根山の形成史に興味があるのですが、これは現在のプレート理論で合理的に説明できているのでしょうか?つまり、両山の形成は伊豆半島の衝突と無関係ではないと思うのですが、伊豆半島の衝突を時間的に追跡しながら、箱根、富士の形成史を、その爆発の規模に至るまで、順を追ってプレート理論で逐一説明している本を見たことがありません。私が知らないだけかもしれませんが、大変興味があるので教えて頂けないでしょうか? (11/30/03)

埼玉県民:社会人:45

A
 プレート理論そのものはスケールの大きな現象に適用されるもので,富士山や箱根 火山の形成史といった局所的現象に直接結びつくものではありません.しかしなが ら,個別的な火山の形成史が,その場所の局所的なテクトニクス場を反映している可 能性は高いものと思われます.その意味で,等しく伊豆半島の衝突テクトニクス場に おかれてはいるものの,富士山と箱根では局所的テクトニクス場には大きな違いがみ られ,両者の形成史がそれを色濃く反映していることは十分に考えられます.以下に 富士山と箱根のテクトニクス場と形成史・活動様式の違いについての個人的見解を述 べてみることにします.これは確立された見方ではなく,ひとつの仮説だと思って聞 いてください.
 富士山の直下では,西側の駿河トラフから西方に沈み込んでいるフィリピン海プレ ート(東海スラブとよばれています)と東側の相模トラフから東方に沈み込んでいる フィリピン海プレート(関東スラブとよばれています)が東西に引き裂かれる形で開 いているものと考えられます(ただし,裂けていないとする考えもありますが).富 士山直下に沈み込んでいるフィリピン海プレートの上面の深さは,地震の震源の分布 からおよそ15km程度と考えられています.そうすると,富士山の直下では深さ15km以 深の下部地殻に相当する部分がフィリピン海プレートであり,しかも東西に拡大して いることになります.例えてみれば,プレートの生産される中央海嶺の小規模なもの みたいなものです.そのために,マントルで生成された玄武岩マグマが容易に下部地 殻まで上昇し,そこで大量に蓄えられた後噴火することが考えられます.富士山は巨 大な火山であり,ほとんど玄武岩マグマばかりを,しかもきわめて大量に噴出してい る日本列島では特異な火山といえますが,その性質はこうした局所的テクトニクス場 を仮定すれば容易に説明できると思われます.
 箱根火山も特異な火山です.現在ではその中央部を丹那ー平山断層という左横ずれ 活断層が縦断しています.小山真人氏は,現在の伊豆半島東北部には,伊豆東部火山 群(東伊豆単成火山群)を拡大境界として,西側を丹那ー平山断層(トランスフォー ム断層),東側を西相模湾断裂(トランスフォーム断層)で境され,足柄平野の東部 の国府津ー松田断層を沈み込み境界とする,「真鶴マイクロプレート」なるものが存 在することを主張しています.現在の箱根火山(中央火口丘)は,ちょうどこの丹那 ー平山断層のプルアパート部に位置するものと考えられます.プルアパート部という のは2本の横ずれ断層のつなぎ目にできる拡大空間です.この地下の拡大空間を満た す形で火山直下のマグマ溜りが形成されているものと思われます.こうしたテクトニ クス場に箱根火山がおかれていたのは約15万年前以降で,新期外輪山形成期以降と推 定されます.それ以前は,25万年前以降箱根火山は独立単成火山群が発達しており, 現在の東伊豆単成火山群と類似した活動を行っていたものと思われます.この時は, 箱根火山自体が真鶴マイクロプレートの拡大境界であった可能性が高いと考えられま す.25万年前以前には,真鶴マイクロプレートはまだ存在せず,複数の成層火山から なる箱根火山群が存在していました.このように,箱根火山の形成史は,この地域の おかれている特殊なテクトニクス場の変化を反映して,きわめて複雑なものとなって いると思われます.
 関心があれば,以下の論文を参考にしてください.
・小山真人(1995): 西相模湾断裂の再検討と相模湾北西部の地震テクトニクス.地学 雑誌,104, 45-68.
・高橋正樹・長井雅史・内藤昌平・中村直子(1999): 箱根火山の形成史と広域テクトニ クス場.月刊地球, 21, 437-445.
・高橋正樹(2000): 富士火山のマグマ供給システムとテクトニクス場ーミニ拡大海嶺モ デルー.月刊地球,22, 516-523.
 (12/02/03)

高橋正樹(日本大学・文理学部・地球システム科学科)