屋島の台地ほぼ平坦な山頂が周囲を急崖で囲まれた地形をしており、そのような
地形は「メサ」と呼ばれます。これは堅牢・緻密で平坦な溶岩流が侵食に耐えて
残った地形と考えられています。
屋島の地質を調査すると、高さ約290mの崖の下部はまさ化した部分の多い花
崗岩ですが、その上部80mくらいが緻密な溶岩(これはいわゆる「かんかん石
=サヌカイト」の仲間の安山岩質です)で占められており、さらにその溶岩流の上
面の一部には花崗岩質砂礫層が薄く載っています。
この砂礫層の成因については、昔、佐藤源郎氏が、地形の逆転が生じた証拠と
して述べています。つまり、今から1300万年昔に、当時の谷地形の低所に溶岩
流が流れました。溶岩流は地形の凹凸を埋めましたが、上面はほぼ平坦です。
その当時に周囲の花崗岩の山から流出した花崗岩質の砂礫層が溶岩流の上に
堆積しました。その後長い年月で周囲の花崗岩が風化・浸食されていったのに、
溶岩流は堅牢で侵食に耐えたために、現在のような山頂が南北に伸びた上面が
平坦な丘が生じた、というものです。もちろんここで、地形の逆転というのは、
昔の低地を埋めた溶岩流が侵食に耐えて現在の高地になっていることを云います。
屋島の隣の五剣山は、下部から、花崗岩、砂岩、流紋岩質凝灰岩、安山岩質
凝灰角礫岩からできています。八栗寺の裏の五剣をなす峰は安山岩質凝灰
角礫岩の地層からなっていますが、間に薄い凝灰岩層をはさんでいます。
これらは、当時の火山活動で流出した溶岩流が破砕されて二次的に土石流
のようにして堆積したものと考えられます。五剣山の場合も凝灰角礫岩が侵食
に耐えて残った地形です。
この他に高松地域には、飯野山(讃岐富士)、六目山、伽藍山、十瓶山、日山、
白山のような、小さな円錐状の小丘がみられますが、これらはしばしば、昔の
マグマの上昇してきた通路であることが判ります。中心の溶岩が硬堅で侵食
に残って円錐状の丘が生じます。
火山爆発で山頂部が吹き飛ばされると、一般に窪地(火口)が生じます。
1980年の北米セントへレンズ山では約3000mの標高の富士山型の火山の
上部が山体崩壊で失われ、後に直径1.5kmの馬蹄形窪地が生じました。
高松地方にはそのようなタイプの爆発火口は残されていないようです。
(1/15/02)
佐藤博明(神戸大・理学部・火山地質学研究室)
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