身近の火山:伊豆・伊豆諸島・小笠原
伊豆大島・三原山 |
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Question #392
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Q |
伊豆大島、三原山について質問させて下さい。
現在も山頂火口内に深いズリバチ状の火孔が落ち込んでいますが、噴火前はそれこそ井戸のような垂直の深い縦穴があったような記憶があります。(古い絵本の『火山は生きている』や、ライフネイチャーライブラリー『日本列島』などにのっていた写真からですが)
あのような火口内に深い火孔が生じるのは、玄武岩質成層火山の特徴なんでしょうか。それとも三原山に限った現象なんですか。よろしくお願いします。
(01/28/00)
アマンタジン:大学生:24
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A |
たしかに三原山の山頂には縦穴状のクレーターがいまも存在していますが,その深さ
は時期によって異なっています.おっしゃるように300m以上の深さがあった時代も
あります.噴火のたびに溶岩によって徐々に埋められて浅くなり(時には,1986年の
噴火直後のように,完全に埋められて消滅してしまい),大規模な噴火が終了してし
ばらく経過した後に,また一気に陥没して深くなる,ということを19世紀末より繰り
返してきたことがわかっています.
このような三原山火口底の大規模な陥没は,最近では1987年11月18日に起きました.
さまざまな観測データから,この大陥没は1986年噴火の際に縦穴火口を満たして溶岩
湖となっていた溶岩が,地下のマグマ溜りに一気に戻ったことによって起きたものと
解釈されています.
つまり,1986年噴火から1年間経過しても,火口を満たした溶岩は一定の流動性を保
っていたわけであり,このようなことは粘性の小さな玄武岩質溶岩でないと難しいの
ではないかと思います.よって,このようなメカニズムで生じた深い縦穴状の火口の
存在は,玄武岩質の複成火山にある程度限られるのではないかと思われます.
なお,深い火口は爆発的な噴火によっても生じ得ますので,深い火口があれば即座に
陥没が原因というわけではないことに注意してください.深い火口の成因については
個別の調査が必要です.
(2/2/00)
小山真人(静岡大学・教育学部・総合科学教室)
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Question #2557
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Q |
こんばんは。
伊豆諸島には非常にたくさんカルデラ(伊豆大島、三宅島、明神礁、青ヶ島等)があるようですが、その中に、九州や北海道のカルデラのように
大規模な火砕流の発生にともなってできたカルデラはあるのでしょうか?
(08/29/02)
てんてけてん:会社員:24
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A |
伊豆孤の火山フロント沿いには,火山島上,海底におっしゃるようにたくさんカルデ
ラがあります.産総研村上さん(村上,1997)では,大島から鳥島までの間に12個のカ
ルデラがリストアップされています.このうち5つが火山島に,残りは海底カルデラ
です.
これらのカルデラのうち,伊豆大島や三宅島など玄武岩質マグマを主に噴出する火山
のカルデラには,大規模な火砕流を発生して形成されたものはありません.いずれも
山頂部で大規模なマグマ水蒸気爆発を起こし,山頂部が陥没または崩壊することでカ
ルデラが形成されたと考えられています.2000年の三宅島の噴火でできたカルデラ,
1924年のハワイ・キラウエア火山のハレマウマウ火口の陥没事件などからも,地下で
のマグマの移動が原因となって山頂部が陥没,爆発的な噴火を伴ってできたのでしょ
う.
一方,八丈島東山では,デイサイト質マグマの噴火活動がたびたび起きています.特
に2万5000年前に火砕流(軽石流)を噴出するやや規模の大きな噴火が起き,山頂部に
カルデラができたと考えられています.火砕流の体積は侵食分を考慮すると数立方
km程度で,九州や北海道のカルデラ形成にかかわる火砕流よりは小さなものです.
海底カルデラについては,潜水調査などによると,少なくとも明神礁の北にある明神
カルデラは,流紋岩質軽石が大量に堆積していることがわかっています.もしこれが
陸上で噴火していれば火砕流を発生させていた可能性があります.ただし海底にある
ことから十分な研究が行われているとは言えず,どのような機構でカルデラ地形がで
きたのかなど,詳しいことはまだ十分にわかっていません.
ということで,八丈島東山は火砕流が発生してカルデラができたことがある.他の火
山島のカルデラはそうではない.海底カルデラはまだよくわかっていないが,流紋岩
質マグマの爆発的な噴火活動でできたカルデラがある,といったところでしょうか.
(08/30/02)
川邉禎久(産業技術総合研究所・地球科学情報部門)
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Question #3718
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Q |
火山が人間のために役立つものとして湧水があるということを聞いたことがありますが、伊豆大島でも使われているのでしょうか?またいつ頃から使われ始めたのでしょうか?
(12/22/02)
なっつ:学生:18
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A |
火山噴出物は水を通しやすく,伊豆大島のような比較的新しい火山島だと,常
に水がある川はごく稀で,すぐにしみ込んで,火山体内部には大量の水が蓄え
られます.浸透した水は地下の細かい火山灰層などの不透水層の上に溜まり,
溶岩流の下部クリンカーや,降下スコリア層などのすき間が多い層から湧水と
してわき出しています.また火山島に限らず海に浮かぶ島によく見られます
が,地下に浸透した天水は淡水のため,同じく地下に浸透したより密度の大き
な海水の上に浮かぶように存在します.この淡水層の断面形状は凸レンズ状の
形状になるため,数式モデルを提出した人の名前をとってガイベン・ヘルツベ
ルグレンズ(G・Hレンズ)と呼ばれます.このG・Hレンズは海水準近くで地表と
交差しますから,島では海岸付近に湧水があることが多いです.伊豆大島では
比較的古い山体が露出する,北東から東の海食崖の途中や崖下付近に多くの湧
水があります.北東部には“泉津”という地名もありますね.この他野増近く
に“カッパの池”があります.G・Hレンズからの湧水としては波浮港に海底湧
水があることが知られています
さて伊豆大島は若い火山で,降水はすぐにしみ込んでしまうため,よほどの大
雨の時以外ではほとんど地表水はありません.そのため昔はもっぱら雨水を溜
めて飲料水に使っていたほか,G・Hレンズがつくる淡水層を井戸を掘って利用
していたそうです.雨水利用はとても安定した水資源とは言えませんし,井戸
の方も大量に水を使用する夏季に汲み上げ量が増えると,G・Hレンズに海水が
混入するようになって,少ししょっぱい水になっていたそうです.正確にいつ
からかは失念しましたが,現在では,井戸のほかに東の海食崖のフノーの滝の
水を大々的に利用するようになりました.フノーの滝の水源は谷の途中の成層
した湖成層の下からわき出す湧水です.おそらく古い筆島火山とその西側に成
長した伊豆大島火山の間につくられた凹地,または古いカルデラ構造が埋もれ
ていて,それが地下水を涵養しているのだろうと考えられます.フノーの滝を
水源にしてから,水不足はほとんど起こらなくなったそうです.伊豆大島の場
合,湧水の大規模な利用は比較的最近ですが,安定した水資源として湧水は非
常に大切なものです.
なお,伊豆大島には縄文早期からの人類遺跡が発見されていますが,それらは
泉津や野増など,噴火の影響を受けにくく,湧水がある場所に多いように見え
ます.縄文人たちもいつでも水が得られる,湧水が近い場所を選んで住んでい
たのかもしれませんね.
(12/25/02)
川辺禎久(産業技術総合研究所・地球科学情報部門)
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Question #3717
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Q |
火山と植生について質問させて下さい。夏に、伊豆大島の裏砂漠に行ったのですが、霧のようなものがでていましたがあれは火山ガスなのでしょうか?火山ガスと植生にはなにか関係があるのでしょうか?また、玄武岩質と植生についての関係もなにかあるのでしょうか?よろしくお願いします。
(12/22/02)
なっつ:学生:18
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A |
現在伊豆大島三原山の山頂火口からはほとんど火山ガスは出ていません.いく
つか噴気孔はありますが量的ごくわずかです.伊豆大島に限らず,夏の伊豆諸
島では山頂近くは雲がかかっていることが多く,ガスで視界が遮られる日が続
くことがしょっちゅうおこります.のどが痛くなったり,卵が腐ったようなに
おいがしなかったのであれば,まず間違いなく普通の霧や雲だと思います.な
お霧が出ると目標物がない裏砂漠では道に迷ってしまいがちです.気をつけて
くださいね.
植物の専門ではないので,玄武岩地帯に特有の植生があるのかについてはよく
わかりません.ただ火山ガスの影響を受けている三宅島をみても,もともと現
地性の植物は,比較的火山ガスに強いものが多く,人間が持ち込んだスギやク
ロマツは大きな影響を受けているようです.伊豆大島の裏砂漠は,噴火で降り
積もったスコリアや火山灰で植生がまず破壊され,その後のマグマ後退期に放
出される二酸化硫黄などの火山ガスの影響で植生の回復がさらに遅れることに
よるようです.伊豆大島のいわゆる砂漠の分布は,三原山の東北東側と南西側
に延びていますが,これは伊豆大島の卓越風の方向と一致します.風で火山ガ
スが流され酸性に弱い植物は定着できず,さらに地表のスコリアや火山灰が風
で移動することで植物が定着しにくいためと考えられます.なお,1986年噴火
のあと,火山ガスの放出はこれまでの噴火より早く終わったため,伊豆大島カ
ルデラ内の植生はより早く回復しているようです.
(12/25/02)
川辺禎久(産業技術総合研究所・地球科学情報部門)
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Question #4116
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Q |
三宅島の『特異体質』についてこれまで色々御教授頂きました。また、もう一つよろしくお願いします。
以前「三宅島の火道は極端に太い≒極端に放出ガスが多い」という事を教えて頂きましたが(#1829)もうこの火山の特徴として「極端に前兆現象の出現から噴火までの時間が短い(事もある)」という事があったと思います。常にガス抜き孔が口を開けている伊豆大島でさえ1986年の噴火の時は数カ月前から前兆があったと聞きます。三宅島の場合、1940年は一ヶ月の前兆がありましたがその後の2回の割れ目噴火の時は前兆現象の出現から噴火まで数十時間程度だったと聞きますし2000年の噴火にしても前兆の出現から最初の海底噴火までは10数時間だったと記憶しています。三宅島の前兆の極端な短さは「太い(であろう)火道」と関係があると考えてよろしいでしょうか。
よろしくお願いします
(08/01/03)
アマンタジン(いつもありがとうございます):医師:28
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A |
前回述べた太い火道は2000年噴火時のカルデラ陥没事件で形成されたもので,それが現在まで続く大量の火山ガス放出につながっていると考えています.
歴史記録に残っている噴火14回のうち,山頂噴火が起きているのは不確実なものを含めても5回に過ぎず,山頂につながる火道は,伊豆大島と違っておそら
くほとんど閉塞していたのではないかと考えられます.
伊豆大島の山頂噴火の場合,ほとんど地震,つまり岩石の破壊を伴わずに噴火に至ります.これは火道をわざわざ新たに破壊しながら作る必要がなかったこと
を示していると考えられます.伊豆大島1986年の噴火の場合,初めて火山性微動が観測されたのは同年7月ですが,マグマが三原山火口に出現したのはそ
れから4ヶ月後でした.それだけゆっくりと上昇してきたと言えます.むしろゆっくりとしか上昇できないのに,火道が確立していたので上昇できたのかもし
れません.
一方,伊豆大島でも1986年噴火の山腹噴火の前兆は,三宅島の割れ目噴火と同じく,噴火の数時間前から始まった地震活動でした.三宅島の割れ目噴火と
同じくマグマが岩石を割りながら急速に上昇してきたのでしょう.おそらく,新しく割れ目を作って噴火に至るには,それだけ急速なマグマの上昇が必要で,
その結果として前兆から噴火までの時間が短いのかもしれません.
なかなか難しい質問で,まだ断定はできませんが,こういう風に考えてみてはどうかと思います.
(09/05/03)
川邉禎久(産業技術総合研究所・地球科学情報部門)
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Question #4131
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Q |
こんにちは、いつも丁寧な回答を有難うございます。
今回は、伊豆大島の三原神社の事で質問があります。
大島の1986年の溶岩流の被害をギリギリで避けたと聞いたので、実際に、この間研修旅行で三原神社を見てみましたが、本当に神社の建物スレスレ(20〜30cmくらい)でした。
溶岩がそれだけ近くまで来ているのになぜ建物は、燃えないのか? 熱波だけで燃えてしまうのではないかと僕は思うのですが・・・
(08/13/03)
千葉の青い篤:高校生:16
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A |
1986年噴火のとき,三原山に登って溶岩流が前進するのを観察していたことを思い出します.溶岩流は非常に熱く,数m以内にはとてもじゃありませんが
近づけませんでした.観察中に直径20cmほどの火山弾がひとつ,頭上を越えて落下してきましたが,すでに赤熱状態ではなくなった火山弾をタオルに包ん
だところ,あっという間に燃え上がってしまいました.
さて「なぜ三原神社は燃えなかったのか」ですが,じつは三原神社はコンクリート製だったので,溶岩流がすぐ近くまで迫ったのに燃えずに済んだのです.た
だこれだけでは火山学とは関係ない話で終わってしまいますから,もう少し溶岩流に飲み込まれなかった理由を説明します.
三原神社は,現在は三原山火口から流れ出した1986年A溶岩に取り囲まれています.しかし,噴火前の空中写真をよく見ると,三原神社は一つ前の噴火で
ある,1950-51年溶岩流の溶岩堤防の上に建てられていることがわかります.溶岩堤防は周りよりも数m高く,三原神社は火口茶屋よりもわずかに高い
位置にあったことになります.その分だけ溶岩流に飲み込まれる危険性は低かったのです.また三原神社は三原山のいわゆる内輪山のちょうど縁の部分にあり
ます.つまり三原神社は三原山から岬のように飛び出したような地形にありました.そのため,火口のほうから押し寄せた溶岩流は,三原神社に迫ったところ
で,両脇のより低い流路から流れ下り,三原神社を飲み込む寸前で止まったと考えられます.
(09/05/03)
川邉禎久(産業技術総合研究所・地球科学情報部門)
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