伊豆諸島は,8月に入って鳥島の噴火に続いて八丈島で地震が頻発するなど,注目
されていますね.
八丈西山火山(標高854m)は,東京の南300km,伊豆七島のひとつ八丈島にあり,
きれいな円錐形をしていることから八丈富士とよばれています.歴史時代にも3回の
噴火記録のある新しい火山で,西山よりもやや東山火山と火山2つが北西ー南東方向
に並んで,ひょうたんのような形の八丈島を構成しています.(八丈島は1964〜
1969年にNHKで放映された”ひょっこりひょうたん島”のモデルだったともいわれて
います)
西山の最新の噴火は1605年で,焼砂(注:スコリアのこと)が,(2つの火山の間
にあり,当時も現在も島民の多くが居住している)三根(みつね),大賀郷(おおか
ごう)の畑に3回にわたり積もったため耕作ができなくなり,年貢が引かれた,と記
録されています.おそらく,西山の南東山麓で起こった割れ目噴火によりスコリアが
噴出され,山腹にはスコリア丘ができ,山麓にはスコリアが堆積したのでしょう.
1518〜1522年には5年にわたり噴火があり,噴煙が麦畑,桑畑にかかって被害を受
けた,1487年には噴火で島中が飢饉になった,と書き残されています.
歴史時代の記録には人的被害についての記述はないので,規模の大きな噴火,爆発
的な噴火ではなかったと考えられています.また1707年に噴火したとする記録もある
のですが,伝聞や再録の記録のため,信頼性に疑問が残されています.
地質時代にまで遡って火山噴出物を調べると様子はかわってきます.西山の噴出物
はおよそ1万年前から東山山麓に堆積しています.東山全体を覆うような,激しいマ
グマ水蒸気噴火を4000年前までに少なくともとも7回,それとは別にスコリアを降下
させるような噴火も10回以上繰り返しました.このころは西山火山が成長する過程に
あって,今よりずっと山体が小さく,マグマが海水に接触してマグマ水蒸気噴火を起
こしやすかったためです.
この期間はまだ東山も活動を続けており,山腹噴火が6回起こってデイサイト質の
軽石が降下したり,厚い溶岩流が南麓の乙千代ケ浜(おっちよがはま)へ流れ下った
りしました.東山の軽石噴火に引き続き数週間以内?に西山の噴火へ移行した噴火も
2回知られています.当時,縄文人が住んでいましたが,このような時にはとても人
が住みつづけることはできなかったと思われます.
およそ3500〜4000年前以降,東山の活動は中断して西山単独の活動となりました.
このころには西山の山体も大きくなったらしく,海岸付近では爆発的なマグマ水蒸気
噴火を起こしましたが,水と接触の程度の小さいスコリア噴火を主とする10数回の噴
火があったことがわかっています.山腹,山麓に並ぶスコリア丘も数多く見られ,山
腹割れ目噴火が頻繁に起こったこともわかっています.平均すれば数100年に1回の頻
度で噴火があったことになります.
西山のシルエットをみると実はきれいな円錐形ではなく,肩のような張り出しがあ
ることに気づきます.一旦,山頂部分が落ち込んで直径2kmくらいのカルデラがで
き,のちの火山活動で埋め立てられ,さらに成長していったためにできた不連続であ
ると考えられていますが,噴出物との対応関係がついていないためその時代はまだよ
くわかっていません.
長くなってしまいましたが,西山も長い時間をかけて,いろいろな過程を経て現在
に至っていることは,おわかりいただけたと思います.また,現在島の2/3以上の人
々の住む三根,大賀郷地区は西山に由来する火山噴出物の上に広がっている,という
成り立ちを知れば,将来,噴火があった際には噴出物に覆われる可能性も決して低く
ないことが理解できると思います.
(08/20/02)
津久井雅志(千葉大学・理学部・地球科学科)
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