火山のできる場所と地球の大構造
フィリピン海プレート・太平洋プレート・北米プレート・ユーラシアプレート |
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Question #220
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Q |
なぜ、九州地方には火山が多いのでしょうか。中学校の社会の調べ学習をしているなかで、出てきた質問です。
(6/1/99)
佐伯 幸恵:中学校教員:26
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確かに九州地方には火山が多いですね.
でも,火山の個数だけからいえばそうでもないのです.そもそも日本中,火山が多
くて,数年前の時点で気象庁が活火山としたものだけでも80個を越す火山がありま
す.九州にはそのうち13個があります.ですから,九州が日本の中でとりたてて火
山の多い場所というわけでもなさそうです.
日本の火山の密度のとりわけ高い場所は,北海道から,東北日本・甲信地方を経て
,伊豆諸島にいたる地帯です.その理由は,日本のように島弧と呼ばれている地域の
火山は,海洋の地下岩盤をなしている海洋プレートと呼ばれる堅い岩盤が大陸の下に
沈み込む運動に関連してできると考えられていまして,上に述べた地帯は,太平洋プ
レートの沈み込んだ場所の上にあるからと説明されています.
それに対して九州も含めて西南日本は,南西諸島と伊豆−マリアナ諸島の間にはさ
まれた海であるフィリピン海の岩盤をつくるプレート(フィリピン海プレート)が沈
み込んでいる場所の上にのっかっています.それで火山ができているわけですが,太
平洋プレートとフィリピン海プレートの全般的な性質の違いから,どちらかというと
西南日本には東北日本に比べて火山が少ないのです.ただし,その中にあって中国・
四国地方に比較すると九州には,はるかに多くの火山があります.その理由はフィリ
ピン海プレート内部の性格の地域的な違いか,沈み込む際の大陸の割れ方に関連して
いるだろうと考えられています.
九州に火山が多いと見える理由は,古代から日本の文化が持続していた西南日本の
中で,近畿〜中国地方に比較してたくさんの火山が九州にあるということにあるかも
しれません.
(6/4/99)
三宅康幸(信州大学・理学部・地質科学教室)
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Question #2063
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Q |
現在比較的活発な火山の前線は東日本と九州以南に集中していますがプレートの沈み込みは四国沖でも起こっています。なぜ中国地方や近畿北陸の火山は静穏なのでしょうか?
日本列島の構造、特に中央構造線によって何らかの影響を受けているのでしょうか?
(12/26/01)
ぼるけの:会社員:40
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A |
中国地方や近畿地方の火山は一見静穏そうに見えますが、第四紀(160万年前以
降)に大きな活動をしているものや、完新世(1万年前以降)に活動した火山もあり
ます。後者に対しては、今後、活火山として認定されるものが出てくると思います。
というのは、現在、活火山の定義を「2000年以内に噴火した火山」から「1万年以内
に噴火した火山」へと改訂する作業が、進行中だからです。さて、この地域にも、東
北日本と似たような火山フロントが見られます。西南日本弧を縦断して琉球弧の北部
まで、一列に連なります。しかも、たいへんに面白いことに、この火山フロントは約
150万年前から突然に出来始めたのです。中国地方から九州・琉球にまで連なる火山
フロント上で、最も初期に噴火活動をした火山体の年代を調べてみると、約150万年
前にそろうのです。このことは、火山フロント上の火山が、フィリピン海プレートの
沈み込みと何らかの関連性をもって形成されたことを示していると思います。確か
に、西南日本弧の火山フロントの直下には、フィリピン海プレートは存在するので
す。プレートが沈んでいる深さでの地震はほとんど見られません。しかし、地震波を
詳しく調べると、ここにある種の反射面が確認され、非震性(地震を起こさない)の
プレートがあることが、20年前くらい前から分かっています。しかし、プレート運動
と火山活動との直接の関係は、まだよく分かっていません。地域的・時代的な関連性
は分かってきても、それらの因果関係を突き止めるところまでは、研究が進んでいな
いのです。また、ご質問のような、中央構造線などの西南日本弧の主要な構造線が、
第四紀の火山活動に関与していることを示す証拠も、まだないと思います。あまり歯
切れがよくなくなってしまうのですが、西南日本弧に関しては、なぜここに火山が存
在するのかという問いは、実は第一級の問題でありながらも、なかなかよいモデルが
できていないというのが現状です。東北日本弧に比べてまだデータが足りないこと、
地帯構造が複雑であること、研究者人口が少ないこと、などが原因だと思います。と
いうことは、逆に、この地域には、まだたくさんの美味しいテーマが転がっている、
ということにもなります。若い人たちにも、是非研究に参入して欲しいなと、私はい
つも思っています。
(1/15/02)
鎌田浩毅(京都大学・総合人間学部・地球科学分野)
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Question #2633
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Q |
最近、火山活動に興味を持つようになったのですが、元々は海の生き物が非常に好きな人間です。ところで、伊豆半島はフィリピン海プレートの移動にともなって南海から北上してきたtぽいう事ですが、それによって海の生き物の進化に異変をもたらしたという事はあるのでしょうか?伊豆以外の棲息地では見られない豊富なカラーバリエーションを持つ魚類がけっこういるようです(トウシマコケギンポ、イザリウオ、等)。それと、火山活動がもたらす海への恵み、(メリット)といったら、何があげられるでしょうか?
(09/11/02)
コケギンポ:サービス業:33
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A |
Q1.プレートの移動と海の生物進化
A1.プレートの移動にかかる時間と、海の生き物が生きる時間とはスケールが大きく
違います。プレートの移動との関連を見ようとするならば、現在の生き物ではなく化
石を対象とすることになります。実際、伊豆半島の衝突に関連して有孔虫という微生
物の化石を対象として時間的変遷を研究した例があります。
Q2.伊豆半島特有の魚類
A2.火山の活動が現在の生物に影響を及ぼすことはあると思われます。温度や噴出ガ
スの成分、地形などにより、それぞれに適応した生物が繁殖することはあるでしょ
う。ただし、伊豆地方の魚類の豊富なカラーバリエーションが、火山活動の影響によ
るものかどうかはわかりません。
Q3.火山活動がもたらす海への恵み
A3.火山活動の現象を考えてみましょう。熱いマグマが上昇してくることにより、熱
水が形成され温泉がでたりします。温泉に含まれる成分が海水に取り込まれます。火
山の周辺は地形が上昇しますので、浅瀬ができて生物がすみやすい環境ができる可能
性があります。逆に、噴火があるとそれまでの環境が破壊されて、それまでの環境に
適応していた生物がすめなくなる可能性もあります。メリット、デメリット、両方あ
るようです。
(09/11/02)
平田大二(神奈川県立生命の星・地球博物館)
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Question #3184
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Q |
冨士火山は伊豆半島が楔のように食い込んだ先に発達した火山のように見えますが、この場所に日本では桁外れに大きな火山が出来たのは、伊豆半島のプレートへの潜り込みが関係しているのでしょうか?、日本列島に付加された陸塊ではこのような所はほかにないのでしょうか?北上山地や阿武隈山地も似ているように見えますが。
(11/01/02)
ぼるけの:会社員:40
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A |
ご指摘のように伊豆半島は本州に対して楔のように食い込んでみえます.このこと
は海底地形をふくめて眺めるともっと明瞭になります.伊豆半島の西側では,フィリ
ピン海プレートの沈み込み境界である南海トラフの延長にあたる駿河トラフが,伊豆
半島と平行するように北上し,富士川河口付近で陸側に上陸しています.一方伊豆半
島の東側では日本海溝から分岐した,やはりフィリピン海プレートの沈み込み境界で
ある相模トラフが,伊豆半島と平行するように北上し,国府津付近で陸側に上陸して
います.これらのプレート沈み込み境界の海洋側にあたる伊豆半島は,フィリピン海
プレートの上にのっているわけです.伊豆半島には沢山の火山があります.伊豆半島
の南の延長は,伊豆大島,三宅島,八丈島などの火山島からなる,伊豆・小笠原火山
弧を形成しています.火山弧の地下のマントルからは灼熱したマグマが上昇してくる
ために,火山弧では,固化したマグマによってマントルよりも軽い地殻の厚さが厚く
なるとともに,その熱によって全体として密度が小さくなります.そのために,軽い
伊豆・小笠原火山弧はフィリピン海プレートといっしょにマントルへと沈み込むこと
ができず,沈み込まれる側である本州島と衝突してしまったわけです.伊豆半島は現
在も衝突を続けており,丹沢山地はそのために隆起していると考えられています.伊
豆半島が衝突して沈み込むことができないため,そこを固定点として東側のフィリピ
ン海プレートは北東へ,西側のフィリピン海プレートは西側へ沈み込んでおり,いわ
ば生き別れ状態になっています.このために,沈み込んだ両者の間には裂け目ができ
ているという考えがあります.この裂け目はちょうど富士山の直下付近を通過してい
ます.そのためにそこではマントルで発生したマグマが上昇しやすく,富士山直下の
地下に大量に溜まっているという見方もあります.富士山が日本列島では桁外れに大
きい玄武岩質の火山であるのはそのためかもしれません.いずれにしても,富士山が
置かれている場所が,日本列島ではここにしかない大変ユニークな場所であることだ
けは間違いありません.伊豆半島付近では,火山弧と火山弧がT字型に衝突していま
す.このようなタイプの衝突帯は現在の地球上ではきわめてまれなのです.北上山地
や阿武隈山地の一部には中生代という古い時代に付加した古い陸塊が含まれてはいる
のですが,現在も衝突帯であるというわけではありません.
(11/12/02)
高橋正樹(日本大学・文理学部・地球システム科学科)
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Question #387
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Q |
私は札幌に住んでいる中学3年生です。
今は受験勉強でとても忙しいですが、火山にとても興味を持っています。
学校で、日本は沢山のプレートが重なり合っていると教わりました。
特に太平洋プレートがユーラシアプレートの下に沈みこむことによって
太平洋側では、地震や火山が発生すると勉強しました。
さらに、学校の先生は昔は北海道の真中辺りに、北米プレートとユーラシアプレートの
境界があったけれど、今は日本海のほうにあるんだよ。とも言っていました。
もし、本当にそうなら、プレートが沈み込んで、日本海でも火山ができるんじゃないかと思うんですが、どうなのでしょうか。
奥尻島の地震はプレートの沈み込みと関係あるのでしょうか?
(01/25/00)
めざせ北高!:中学生:15歳
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A |
「めざせ北高!」さん,こんにちは!
受験勉強は順調にお進みでしょうか?
さて,御質問の件です。
プレートはある程度の深さ(110kmくらい)まで潜り込まないと,その上に火山はで
きません。日本海を作っているプレートは,地質学的な感覚では「ついこの間」沈み
込み始めたばかりです。このまま順調に沈み込みが進行したとしても,それによる火
山ができるまでは,あと1000万年〜2000万年はかかるでしょう。
> 奥尻島の地震はプレートの沈み込みと関係あるのでしょうか?
そのとおりです!!
(1/26/00)
林信太郎(秋田大学・教育文化学部・地学研究室)
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Question #3766
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Q |
はじめまして。
近頃、小笠原父島へ旅行をし、うぐいす砂を見たんですが、それがボニナイトという岩石だということを知りました。興味を持っていろいろ調べているうちに、50kmはなれた母島とは成因や構成する岩石が違うこともわかりました。父島と母島は近いにもかかわらず、どうして違う岩石が産出しているのでしょうか?
加えて、母島から西にある、母島海山(小笠原古陸とも言うようですが)についても興味が出てきました。どうやら、塩基性岩やそれが変成してできた蛇紋岩で出来ているようですが、いつ頃、どうして出来たのかなど、詳しいことが知りたいと思い、質問させていただきました。できれば両方にお答えいただけると幸いなのですが、よろしくお願いいたします。
(01/15/03)
らいちゅう:学生:21
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A |
小笠原諸島の島々は今から5000-4500万年ほど前の火山フロントで活動した島弧火
山です。父島以北の島嶼(父島列島,聟島列島)は5000万年ほど前の海底火山の集ま
りで,少なくとも漸新世(今から3750-2250万年前)以降に隆起して島となりまし
た。これらの海底火山は現在の伊豆ー小笠原の火山では産出しない,ボニナイトとい
うMgの含有量が高い特殊な安山岩の溶岩でできています。この安山岩には古銅輝石
(斜方輝石の一種)という緑色の鉱物が多く含まれています。そのため,この岩石が
風化浸食を受けると固い古銅輝石だけが残り,やがて波に洗われて古銅輝石が海岸に
集まり,うぐいす砂となります。小笠原のボニナイトには古銅輝石の他に単斜エンス
タタイトという乳白色の輝石を含むものがあります。この鉱物は隕石に含まれること
がありますが,地球上の岩石ではボニナイトやボニナイトマグマがゆっくりと冷えて
できた深成岩にしか産出しない,とても珍しい鉱物です。
一方,母島は4500万年ほど前の火山島で,現在の伊豆諸島の玄武岩や安山岩とよく
似た岩石でできています。父島以北の海底火山とは活動した時代が違っており,父島
と母島が同時期に活動したという証拠はありません。しかし,母島の南東沖の海底に
は父島とよく似たボニナイトの海底火山が見つかっていますから,母島のあたりでも
少し古い時代には同じような火山活動があったと考えられます。また,ほぼ同じ時期
のボニナイトの海底火山は小笠原のはるか南方のマリアナ諸島からも知られていま
す。このように父島をはじめとするボニナイトの海底火山活動は,今から5000万年ほ
ど前の一時期に小笠原からマリアナにかけての広い範囲で起こった島弧火山活動です
が,現在の地球上では知られていません。ボニナイトマグマができるためには,通常
の島弧とは異なる特殊な条件が必要だからです。ボニナイトマグマは,通常の島弧マ
グマよりもかなり浅いところで,水を含んだマントルのカンラン岩が溶けてできたと
考えられています。多くの島弧ではマントルの非常に浅い部分は温度が低いために,
溶けてマグマを発生することはありません。ボニナイトマグマが活動した頃の小笠原
の下のマントルは,異常に温度が高かったのです。
小笠原の500 kmほど西の海底に九州−パラオ海嶺という海底山脈が南北に延びてい
てます。その海底山脈と小笠原の間にある海底を四国−パレスベラ海盆と言います
が,これは今から3000-1500万年前にプレートが東西に拡大してできた背弧海盆で,
ボニナイトマグマが活動した頃にはまだありませんでした。その頃の小笠原は九州−
パラオ海嶺とくっついて,火山活動が盛んな島弧の一部でした。この海嶺の西には西
フィリピン海が広がっていますが,その海底も四千数百万年前までプレート拡大を続
けていました。プレートの動きを復元すると,この西フィリピン海プレートの拡大軸
は丁度小笠原のあたりで九州−パラオ海嶺(古島弧)と交差していたらしいのです。
プレート拡大軸の直下ではマントルが湧き上がってきますから,浅いところでも温度
が高くなります。この九州−パラオ古島弧の下に拡大中の海嶺が沈み込んだために,
マントルの温度が上がってボニナイトマグマができたという説があります。この沈み
込んだ海嶺は太平洋プレートとその南にあった北ニューギニアプレートの境界であっ
たと考えられています。また,丁度今から4500-5000万年ほど前の小笠原のあたりに
マントル上昇流があったために,マントルの温度が高かったのだ,という学説もあり
ます。
母島にボニナイトが見られないのは,父島などでボニナイトの火山をつくった後に
マントルの温度が下がってしまったためでしょう。
(01/17/03)
海野 進(静岡大学・理学部・生物地球環境科学科)
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