小笠原諸島の島々は今から5000-4500万年ほど前の火山フロントで活動した島弧火
山です。父島以北の島嶼(父島列島,聟島列島)は5000万年ほど前の海底火山の集ま
りで,少なくとも漸新世(今から3750-2250万年前)以降に隆起して島となりまし
た。これらの海底火山は現在の伊豆ー小笠原の火山では産出しない,ボニナイトとい
うMgの含有量が高い特殊な安山岩の溶岩でできています。この安山岩には古銅輝石
(斜方輝石の一種)という緑色の鉱物が多く含まれています。そのため,この岩石が
風化浸食を受けると固い古銅輝石だけが残り,やがて波に洗われて古銅輝石が海岸に
集まり,うぐいす砂となります。小笠原のボニナイトには古銅輝石の他に単斜エンス
タタイトという乳白色の輝石を含むものがあります。この鉱物は隕石に含まれること
がありますが,地球上の岩石ではボニナイトやボニナイトマグマがゆっくりと冷えて
できた深成岩にしか産出しない,とても珍しい鉱物です。
一方,母島は4500万年ほど前の火山島で,現在の伊豆諸島の玄武岩や安山岩とよく
似た岩石でできています。父島以北の海底火山とは活動した時代が違っており,父島
と母島が同時期に活動したという証拠はありません。しかし,母島の南東沖の海底に
は父島とよく似たボニナイトの海底火山が見つかっていますから,母島のあたりでも
少し古い時代には同じような火山活動があったと考えられます。また,ほぼ同じ時期
のボニナイトの海底火山は小笠原のはるか南方のマリアナ諸島からも知られていま
す。このように父島をはじめとするボニナイトの海底火山活動は,今から5000万年ほ
ど前の一時期に小笠原からマリアナにかけての広い範囲で起こった島弧火山活動です
が,現在の地球上では知られていません。ボニナイトマグマができるためには,通常
の島弧とは異なる特殊な条件が必要だからです。ボニナイトマグマは,通常の島弧マ
グマよりもかなり浅いところで,水を含んだマントルのカンラン岩が溶けてできたと
考えられています。多くの島弧ではマントルの非常に浅い部分は温度が低いために,
溶けてマグマを発生することはありません。ボニナイトマグマが活動した頃の小笠原
の下のマントルは,異常に温度が高かったのです。
小笠原の500 kmほど西の海底に九州−パラオ海嶺という海底山脈が南北に延びてい
てます。その海底山脈と小笠原の間にある海底を四国−パレスベラ海盆と言います
が,これは今から3000-1500万年前にプレートが東西に拡大してできた背弧海盆で,
ボニナイトマグマが活動した頃にはまだありませんでした。その頃の小笠原は九州−
パラオ海嶺とくっついて,火山活動が盛んな島弧の一部でした。この海嶺の西には西
フィリピン海が広がっていますが,その海底も四千数百万年前までプレート拡大を続
けていました。プレートの動きを復元すると,この西フィリピン海プレートの拡大軸
は丁度小笠原のあたりで九州−パラオ海嶺(古島弧)と交差していたらしいのです。
プレート拡大軸の直下ではマントルが湧き上がってきますから,浅いところでも温度
が高くなります。この九州−パラオ古島弧の下に拡大中の海嶺が沈み込んだために,
マントルの温度が上がってボニナイトマグマができたという説があります。この沈み
込んだ海嶺は太平洋プレートとその南にあった北ニューギニアプレートの境界であっ
たと考えられています。また,丁度今から4500-5000万年ほど前の小笠原のあたりに
マントル上昇流があったために,マントルの温度が高かったのだ,という学説もあり
ます。
母島にボニナイトが見られないのは,父島などでボニナイトの火山をつくった後に
マントルの温度が下がってしまったためでしょう。
(01/17/03)
海野 進(静岡大学・理学部・生物地球環境科学科)
|